素朴な宗教・素朴な神話

数日前に保立道久教授の『第二次世界大戦前の「皇国史観」の中枢をなしていた偏狭な民族主義的な歴史観を突きくずす』につっ込みを入れた。「皇国史観」からは脱したかもしれないが、だからといって完全に価値中立的になったわけではない。


そもそもそれは不可能であるというのが歴史学の主流の考え方だろうが、そういう小難しい話をしなくても現代の歴史研究者の多くが特定の「史観」にどっぷりはまっているように俺は考えている。


その最たるものは既に何度も指摘しているけれど「陰謀論的史観」だ。誰々に都合の良いように造作・改竄したとかいったことをいとも安易に言い出す。言っている本人は史料を鵜呑みにしないでまっとうな批判をしたものだと考えているのだろうが、根拠となっているものは現代の事件に関する陰謀論とたいして差がないものであることも多い(学者の説であっても)。現代の陰謀論は熱烈な支持者がある一方で、大半の人は懐疑の目を向けるが、これが歴史的な話になるとそうでもなくなるのは、一つには昔の出来事は史料が少なく推論に頼る部分が大きいということもあるだろうけれど、「陰謀論的史観」というものがそれだけ一般的で空気のような存在になっているからなのかもしれない。


で、この「陰謀論的史観」に関係するのだけれど、日本の宗教「神道」や、日本神話について、それらは元々は民衆によって受け継がれた素朴なものだったのが、大和朝廷の政治的な思惑によって改竄されたのだというような主張がある。先に触れた『「神道」の虚像と実像』もそのような考えが背景にあるのだろうし、神話については昔読んだ直木孝次郎の本にそのようなことが書いてあったように記憶している。


大和朝廷の「改竄」については、そういうこともあったかもしれない。というか、政治権力が宗教や神話に手をつければ、特に強く意識していなくても、それどころか当人達は本来の姿に忠実であろうとしても、自然に何らかの影響があるだろうと思う。


疑問なのは、その「本来の宗教・神話」について。果してそれは言うほど「素朴」なものだったのだろうか?それについての確かな根拠はあるのだろうか?それがわからない。俺はここに「皇国史観」と同類のものがあるように思えてならないのである。