現代日本を蝕む○○史観

自虐史観」だと思ったあなた。今日はその話じゃありません。


このブログでは日本の歴史研究に蔓延する「陰謀論史観」について何度も書いてきた。在野の研究者はもちろん専門家も安易に陰謀論を採用する。というか、こと歴史に関しては、在野の陰謀論は専門家の陰謀論に影響されているところが大きいとさえ言えると思う。しかし、今日はその話でもない(無関係でもないが)。現代日本を蝕む「○○史観」は他にもいっぱいある。そのうちの一つについて。


それは「悪人とされた人は実は善人だった史観」(略して「善悪逆転史観」。代表者は吉良上野介。続くのは明智光秀石田三成蘇我入鹿などなど。


もちろん、かつて悪人とされた人物の実像を見直すというのは必要なことだというのは言うまでもない。しかし、それが極端に走って「善人だった」「名君だった」などとなると話は別。さらに今度は逆に「浅野内匠頭はバカ殿」とか、善悪をひっくり返した話も出てくる。


かつて一般に流布していた説を否定するのは良いけれど、善悪が逆転しただけで、元の説と同類の問題点を抱えたままだったりする。


しかし、こういう話は現代日本で受け入れられやすい。しかもかなり強固に信じていたりする。


実際にはたとえば「吉良上野介が悪人だ」などと純粋に信じている人間は存在するとしても多数派ではないと思うけれど、そういう「純粋素朴な人」の存在を過剰に意識して「それを否定する自分は正しい」という信念が支えになっていたりするのが重要な一因だろう。


あと、日本には元から怨霊鎮魂というものがあるから、不遇な死を迎えた者が実は善人だったという話は受け入れられやすいというのもあるかもしれない。しかし、それなら昔からそうだったはずであり、現代になって流行るというのは、それだけでは説明できない。


現代社会に存在する色々な思想が背景にあるのだろう。これすなわち「史観」である。当人にはそういう気は全くなく「歴史の真実を明らかにしただけだ」みたいに思ってるのかもしれないが(むしろそういう人の方が過去の「皇国史観」などを激烈に批判する傾向があるんじゃないかとすら思う)。


それと、もちろん実利的な側面として「地域おこし」というものがある。郷土に縁がある歴史上の有名人を持ち上げることによって、観光その他で利益を得ようとの思惑から出るものであって、真相がどうとかは割とどうでも良かったりする。これが一番「悪質」なようにも見えるけれど、ガチで信じているわけではないという点ではむしろ健全か。しかし宣伝によってガチで信じる人が出てくる危険は十分過ぎるほどあるし、逆に「地域おこしなんだから目くじら立てるなよ」みたいな批判しにくい空気が作り出されることも厄介である。