伽藍配置は注目されるのに寺院の配置はなぜ注目されないんだろう

古道から見た斑鳩宮と東西伽藍の壮麗さ: 網伸也「景観的見地からの伽藍配置」 - 聖徳太子研究の最前線

 南大門、五重塔、金堂、講堂が南北一列に並ぶ四天王寺式を初め、古代寺院の伽藍配置がどうなっているかはきわめて重要であって、これまで盛んに議論されてきました。これに加え、最近、注意されるようになったのが、そうした伽藍全体がどのような土地に配置され、どの方角からはどのように見えたか、という景観の問題です。

こう言っては何だが、この手のことは確実な史料があるわけではなし、あくまで推測にすぎないのである。


「だからこのようなことは無駄であり研究する価値も無い」などと言いたいわけではもちろんない。大いに研究対象にすべきだと思う。というか俺が言うまでもなく、学者の方々は研究価値があると考えているからこそ研究し、そして研究の成果が注目されているのだろう。


俺が言いたいのは、だったら寺院の配置についても大いに注目すべきじゃないのかってこと。


大聖勝軍寺と四天王寺・法興寺の配置 - 国家鮟鱇
で書いたように、四天王寺法興寺を直線で結ぶと、物部守屋合戦の古戦場である八尾市西部がその直線上に位置するのだ。


より大きな地図で 大聖勝軍寺 を表示

もちろん史料があるわけではない。これに意味があると言ったところで、あくまで推測にすぎないと言われればその通りだ。だが、研究する価値が無いかといえば、そんなことはないと俺は考える。しかし、これに注目している学者は皆無だろう(そもそもこうなっていることに気付いていないのだろうけれど)。