秀吉「中国大返し」の謎(その4)

小瀬甫庵が書いた『太閤記』(『甫庵太閤記』)はどういう評価をされているのか?


ウィキペディアにの「太閤記」の項には、

寛永3年(1626年)、儒学者小瀬甫庵が著す。全20巻。秀吉伝記の定本とされているが著者独自の史観やそれに基づく史料の解釈、改変も指摘されている。加賀藩で知行を貰っている関係から、前後の関係を無視して唐突に前田利家の活躍が挿入されている箇所も見られる。

太閤記 - Wikipedia
とある。


一方、「小瀬甫庵」の項には、

一方で、それらの書物は読み物として面白くするため、ふんだんに虚構を入れた「小説」であり、あくまで小瀬甫庵 は「歴史家」ではなく「歴史作家」であることには留意しなければならない。

小瀬甫庵 - Wikipedia


二つの記事は、甫庵の『太閤記』は鵜呑みにすることは出来ないという点では一致しているが、評価に違いがある。


前者は、「著者独自の史観やそれに基づく史料の解釈、改変」を指摘しているのに対し、後者は「読み物として面白くするため、ふんだんに虚構を入れた」としている。


前者と後者では全く違う。前者であれば甫庵自身にとっては、それが歴史の真相だと考えていたということになるが、後者では嘘と知りつつ書いたということになる。


これに関しては既に何度も書き、つい最近も書いたことだが、歴史家は史実か否かに関心の重点があるけれど、史実と異なる場合、なぜそうなのかについての考察はかなり緩い人が多い。そのため安易に「権威を高めるため」とか「貶めるため」だとか、このケースのように「面白くするため」だとか、大した根拠もないのに「陰謀論っぽい」ことを言う傾向がある。そういうのを見るとウンザリするのだが、何しろそれは当然のように行なわれていて、そういうものを敬遠していると読むものが極めて限定されてしまうほど、ありふれている。


陰謀論的史料批判 - 国家鮟鱇
「陰謀論」と歴史学 - 国家鮟鱇


正直「駄目な疑似科学批判」とどっこいどっこいだと思う。間違いがあるのなら、そう指摘するのは勿論そうするべきだけれど、淡々と書けばいいだけのことで、それ以上の言及をするのなら、もっと慎重になされるべきであるし、安易に動機を見出すことは、間違いを指摘する方もまた「疑似科学」っぽい様相を呈することになる。
(ちなみに俺が「ニセ科学批判」に関心があるのは、まさにこの歴史学の現状を鑑みてのことであるというのが大きい)。



話は『太閤記』に戻るが、これを「読み物として面白くするため、ふんだんに虚構を入れた」と考えるなら、史料としての価値は低いと判断されるのは当然だ。だが、「著者独自の史観やそれに基づく史料の解釈、改変」と考えるのなら、必ずしもそうとは限らない。そこはもっとも慎重に見極めるべきことであると俺は思う。


少なくとも、仮にこれが、「著者独自の史観やそれに基づく史料の解釈、改変」なのだとしたら、どのような解釈が可能であるかを検討した上で判断すべきことだろう。最初から信用できない史料だという偏見があれば、公正な判断ができるとは到底思えない。


(なお、ウィキペディアには書かれてないが、『甫庵太閤記』は同時代の読者である武士からも批判されていた。それが後世の評価に影響を与えている面もあるかもしれない。但し武士の関心事は主に「武功」についてであるということも考慮する必要があると思われ)


(つづく)