言霊とミカン(その2)

 ミカンに「ありがとう」「死ね」と話し掛け、変化の有無を観察する「言霊(ことだま)大実験」が昨秋、県南地域の中学校であった。言葉の大切さを考える道徳学習だという。

 対象はビンに入れた3個のミカン。約2カ月後、生徒から悪い意味の言葉を掛けられた方が腐り始めた。良い言葉の方は変化なし。発案した教諭、そして多くの生徒が「言葉が伝わったのでは」と思ったという。

 言霊とは、言葉が霊的な力を持つという信仰だ。そして人は、古くから森羅万象に魂が宿ると信じてきた。

25時:言霊とミカン /宮崎 - 毎日jp(毎日新聞)


ミカンに「ありがとう」「死ね」と話しかけると、ミカンが腐らなかったり、腐ったりする。それを「言霊」と表現しているのは、その中学校だということになるだろうけれど、記者も「科学」としては認めないけれども古くからの「信仰」としては認めているのだろう。


さて、ミカンに「死ね」と言ったら「腐り始めた」というのは、どういう仕組みになっているのだろうか?


一つの考え方としては、「死ね」と言われたので死んだ(腐った)ということ。もう一つは、「死ね」と言われ続けたのでミカンが生きる気力を無くして死んだ(腐った)ということ。二つは似ているようで違う。


それを踏まえた上で、逆の実験について見てみると、実験者は「ありがとう」と声をかけている。「死ね」の反対は「生きろ」のはずなのに。つまり、これは「ありがとう」と声をかけることで、ミカンの生命力が活性化したということで、後者の作用が働いているということだろう(だから「死ね」じゃなくて「バカ」とか「クズ」とか言い続けても効果があるものなのかもしれない)。


家畜や、刀、機械などに対して、人間と同じように話しかけるということは、よくあるケースだけれど、それは「言霊」とは違うんじゃないかと思う。それは言葉が「霊的な力」を持っているのではなくて、動物や機械に魂があるとする考え方だろう。


実は俺はよくわかってない。だが、記者もよくわかってなさそうな感じがする。