通り魔の孤独 (その後)

「加藤よ、裏切ったな」(AERA) - Yahoo!ニュース

 かつて革命家と持ち上げられた加藤被告はいま、ネット内で、
〈加藤はリア充(充実した暮らしをしていたこと。『リアルに充実』の略)だったじゃん〉
 などと書かれている。仲間と思っていた加藤被告に裏切られたと思う同世代の腹いせだろう。


俺の記憶では「リア充」だという声は、他の声よりは遥かに小さかったけれど、事件翌日(もしかしたら当日)にはあったように思う。それは同じ寮に住む人の証言で、彼が同僚と一緒にドライブに行くなど、割と人付き合いをしていたことが明らかになった頃からだった。また凶器に使用した刃物をわざわざ福井県まで行って購入する行動力もまた違和感を持たれていた。それを補足する情報はその後も次々に出てきた。


いわゆる「リア充」は、そういうことに鈍感だということがあるかもしれないけれど、その反対に位置する人なら、そういうことに敏感なはずなので、マスコミの報道を普通に見ていれば気付くことができたはずだった。彼は自分とは違うと。


なぜ気付けなかったのか?メディアに流れる「物語」を信じきっていたという可能性はあるだろう。だが、他の可能性もあるように思う。それは、そういう人達もまた「本物」ではないという可能性。つまり「仲間と思っていた加藤被告に裏切られた」というけれど、結局のところ彼等と加藤被告は「仲間」だという可能性(喩えとしては不適切かもしれないが「ネカマネカマに騙された」みたいな)。


勿論、彼等が「本物」ではないといっても、だから問題がないということではない。それどころか大問題だ。現に加藤は重大な犯罪を行っているし、それには彼の「境遇」が大いに影響しているのだろうから。


その「境遇」を説明する適切な表現が今のところ上手くいかず、その代りに別の「境遇」が当てはめられてしまいがちだということなんだろう。


通り魔の孤独 - 国家鮟鱇(2008-06-16)