奈良の語源が朝鮮語だと主張したのは柳田國男の弟 (その2)

ところで上で書いたように、ウィキペディアでは奈良の語源が朝鮮語だという説に否定的なことが書いてあるけれど、誰が提唱したのかというと、調べても今のところわからない。


ウィキペディアのソースは「世界大百科事典」になっているので、調べてみると永島福太郎氏によって確かに「ならす」説が紹介されているが、詳しいことはわからない。


というわけで、俺の推理。


日本書紀』に、

「則ち精兵を率ゐて、進みて那羅山に登りて軍いくさす。時に官軍屯聚して、草木を〓〓す。因りて其の山を號して、那羅山と曰ふ。〓〓、此を布瀰那羅須ふみならすと云ふ」

とある。草木を踏み均したので「なら」だというわけだ。


ただ、ここで良くわからないのが、これは「那羅山」という山の名前の由来だということ。すなわち現在の「平城山丘陵(ならやまきゅうりょう)」のことでしょう。
平城山丘陵 - Wikipedia


そもそも、松岡静雄が指摘するように、草木を踏み均したので「ナラ」と呼んだなどというのは、聖徳太子の母が厩の前で産気付いたので厩戸皇子と呼ばれたというのと同じ。説話であって史実ではないと考えるべき。そこで松岡は朝鮮語に由来を求めたわけだが、そうではなくて「ナラ」は「ならす」の「なら」来ているということは間違いないだろうと思う。もちろん草木を「ならした」から「ナラ」なのではなくて、平らだから「ナラ」なのだろう。


ここで二通りのことが考えられる。一つは丘陵が平らだから「ナラ山」となって、近くの平地も「ナラ」と呼ばれたということ。もう一つは逆に、平坦な地形だから「ナラ」と呼ばれ、近くの丘陵も「ナラ山」と呼ばれるようになったということ。両者が別個に「ナラ」と呼ばれるようになったというのはちょっと考えにくい。ここのところがどう考えられているのか調べてもよくわからない。


個人的には、平地だから「ナラ」説を取りたいが自信は無い。ただしいずれにせよ、平城京のある場所が「ナラ」と呼ばれるようになったからには、そこが平らであるという強い認識が後付けであっても持たれるようになっただろうとは思う。