大日本国の大日如来

「伴天連追放之文」に曰く「日本は神仏の国。『大日本国』→『大日如来の本国』だろ?」…ちょっと笑った - 見えない道場本舗

この「追放之文」で国衣の宰相・崇伝はいろいろキリスト教を批判しているのですが

夫れ日本は元是れ神国也・・・神は他に求むるに非ず、人々具足し・・・是神体なり。又仏国と証する…文に云う、惟れ神明応迹の国にして大日の本国なりと。

・・・・「国家安康、君臣豊楽」も日本史上に残る駄洒落こじつけだけど、天竺生まれの仏教を持ってきて、日本は仏の国である、なぜなら大日本国とは「大日の本国」だからだ!!というのも相当スゴイ(笑)。


『伊勢神宮と神仏習合』(勝山清次)【注PDF】という記事によると、


『太神宮諸雑記』という史料に天平14(742)年11月3日橘諸兄聖武天皇の命で伊勢神宮に参宮したことがことが書かれている。すると11月11日、天王の夢枕に「玉女」が出現し、

本朝わ神国なり。神明を欽仰したてまつり給ふべきなり。日輪は大日如来なり。本地は眦盧舎那仏なり。衆生はこれを悟りてまさに仏法を帰依すべき

と語ったという。「玉女」は天照大神だと考えられる(もしかしたら天照の使者かもしれないけれど)。勝山氏は

「日輪(天照をさす)は大日如来であり、その本地は眦盧舎那仏である」という理

ここに天照と大日如来の繋がりが見られる。


もちろん天平14年とあるけれど後世に作られたものだろう。そこでこの考えがいつ成立したのかという考察が書かれている。


天照大神大日如来」という観念は、、康平3(1060)年の『真言付法纂要抄』という史料に空海(遍照金剛)、日本(大日本国)、天照大神(天照尊)が関連付けられているが、同体とされているとまでは言えず、萌芽にとどまっているという。


次に、「東大寺大仏(盧舎那仏)=大日如来」という観念は12世紀初め頃までしか遡れないという。したがって先の橘諸兄参宮説話は11世紀後半頃の成立だという(伊藤聡氏の説)


勝山氏は

この習合説には天照大神は日本の本主=国主であるという観念がともなうので、この天照の国主観も同時にもたらされたとみられる。ちなみにこの観念は、日本が大日如来の本国であるという考えを前提に、天照大神大日如来と同体であるので、その本国である「大日本国」の本主であるとするものである。

と書いている。



ここから俺の気になる点。、

日輪は大日如来なり。本地は眦盧舎那仏なり

について。「日輪」とはアマテラスのことだということになる。アマテラスが太陽だというのが現代人の一般的認識だけれども俺は疑っている。ただしそう考えるのは自然だとはいえる。だけど「日輪=アマテラス」という観念が明確に登場したのはいつなのかというのが俺のかねがね気にしている点。もちろん『日本書紀』にそれを窺わせる記述はある。文脈的にはそう受け取るしかなかろうと思える記事もある。たとえば神武天皇が「自分は日神の子孫」と言ったとか。しかし、それでもなお「日輪=アマテラス」ではないと考える余地があるように思えるのだ。


次に「日輪=大日如来」ということ。大日如来は本来太陽のことではない(らしい)。しかし、大日如来には「日」という漢字が含まれる。さて、この「大日如来」という名前は誰がどういう意図で名付けたのか?俺は詳しくないんだけれど、これは中国において命名されたものではないのか?調べてみると

大日如来の呼称に付いては金剛頂経に於いて毘盧遮那佛と呼ばれており、大日経では数か所で大日如来と訳され、大部分は毘盧遮那佛と訳されて、訳名は併用されている、梵語名はvairocana(ヴァイローチャナ)「輝かしい」と言う意味であるが大日経の中で毘盧遮那の一部分を大日如来と翻訳したのは善無畏(637〜735)と弟子の一行(673〜727年)であり、大毘盧遮那成仏神変加持経疏・から大日経義疏が出されて大日如来が日本では普遍化する。

両部大経 大日経・金剛頂経‐古寺散策
とある。善無畏はインド・摩伽陀国(マカダこく)の国王で、長安に赴いて仏典を漢訳したという。
善無畏 - Wikipedia


中国では一般的ではないにしても「大日如来」という名前は唐においてインド人によって命名されたものだった。「日」を使用したのは「輝かしい」「光明を放つ」からということであろうが、既に日本に来る前から「対日如来=日輪」という観念の萌芽があったようにも思われるのである。


大日如来」という漢訳がされた時期と「日本」という国号が出来た時期が近いということが、俺はどても気になるのである。またまたトンデモなこと言いやがると100人仲100人が思うであろうが、「本当に大日如来と大日本国の関係は日本人によるこじつけなのか?」なんて思ってしまうのである。


次に、「東大寺大仏(盧舎那仏)=大日如来」という観念は12世紀初め頃までしか遡れないという説だが、上にあるように「大日如来」のことを中国で「毘盧遮那仏」とも呼ばれているというのに、史料上では12世紀初め頃まで遡れないのかもしれないが、それ以前にそう考えられていなかったということがありえようか?非常に不思議に思うのである。


その他にも言いたいことがあるけれど疲れたので一旦終了。