平安楽土(その2)

「平安楽土」という言葉について考えてみようと思ったのだが、結構難しい。


割と知られている言葉でもルーツを探ろうと思うと情報の少なさで壁にぶち当たることがある。
長年疑問だった「平安楽土」の出典はわかった。これもインターネットのおかげだ。ネットがなかったら今でもわからなかったかもしれない。


しかし、まだまだ疑問はある。


まず、「平安楽土」の知名度がわからない。現代人で「平安楽土」という言葉を聞いたことがある人は多いはずだ(その割にヒット数が少ないけれど)。だが、昔の人はどうだったのだろうか?今よりは知名度が低かったに違いない。問題は知識人がどれほど知っていたかだ。これがわからない。


あまり使ってなかったように思うけれど、それは俺の知識不足かもしれない。しかし、もしかしたら、いわゆる「作られた伝統」と同じように、実は近代になってから注目されだした言葉なのかもしれない。


たとえば、織田信長が「平安楽土」から「安土」を命名したという説があるけれど、それを考察するためには、まず、果たして信長やそのブレーンが「平安楽土」という言葉を知っていたのだろうかということを検証しなければならない。


そういうことを調べるのはとても大変だ。というか俺には不可能だろうと思う。


そもそも考えてみれば「平安京」という言葉だって同様だ。俺は平安京のことを平安京と呼んでいる史料を見たことが無い。大抵は「都」とか「京」とか「洛」とかだろう。


江戸時代の京都に住んでいた人は「平安京」という言葉を知っていたのだろうか?そういうことさえ俺にはわからない…