迹見首赤檮 (その6)

迹見首赤檮(その5)の続き。

物部守屋を射落としたとされる迹見首赤檮(とみのおびといちい)の伝説は「太陽を射る話」に源流があり、「太陽を射る話」は「日招き伝説」と類似した話である。


「日招き伝説」は栄華を誇った朝日長者が最後には没落する。


ところで、実在したのかわからない朝日長者なら没落したことを伝える必要があるだろうけれど、誰でも知っている有名人であれば、わざわざ説明されなくても没落したことは既に知っているはずだ。


広島県呉市音戸の瀬戸という海峡がある。

この海峡は、平安時代日宋貿易の航路として、1167年に平清盛が開削したといわれている。一日で工事を完了させるために夕日を招き返したという伝説がある。また、工事安全祈願のために人柱の代わりに一字一石の経石を海底に沈めたともいわれる。平清盛ゆかりの土地であることから、開削800周年を記念して、立烏帽子直垂姿の平清盛が日没の方向に扇を向けて立つ姿の2.7mの銅像「日招像」が瀬戸の東側の高烏山麓音戸の瀬戸公園」内に1967年(昭和42年)7月に建立された。ただし、近年の地質調査では、清盛の時代より遥か以前から、この海峡には船舶の航行に十分な水深があり、本州側と音戸側が地続き、あるいは浅瀬で結ばれていたと考えられる証拠は存在しないとされている。

音戸の瀬戸 - Wikipedia


これは明らかに「日招き伝説」だ。そうであれば、日を招いた平清盛は没落しなければならない。しかし、伝説にそのような話は無いようだ。


とはいえ、平清盛の一族が没落したことは誰でも知っている事実だ平清盛が日招きしたという伝説は、それだけで清盛一族が没落することを暗示しており、あえて没落した事実を説明する必要はないのである。


しかし、ネットで音戸の瀬戸を紹介したページを見ても、そのような説明をしているところは、ざっと調べたところでは見当たらない。清盛が権勢を誇っていたというようは話ばかりだ。中には清盛は横暴な人とされているが、このように良いこともした偉人だみたいな受け取り方をする人までいる。そういう伝説の読み取り方は、伝説から真実を探り出そうと本人は考えているのかもしれないが、実際はますます真実から遠ざかっていくものである。実際の清盛が良い人か悪い人かはともかく、伝説の中の清盛は権勢に驕りやがて一族が没落する人物としての清盛である。


「日招き伝説」で長者が没落するというのは良く知られたことなので、誰も気付かないなんてことは有り得ないとは思うけれど、わかっている人でも、伝えられていないから、そうだともそうでないとも言えないというスタンスなのだろうか?


呉市観光振興課の説明はかなり詳しいが、それでも没落には全く触れていない(観光に支障が出るからかもしれないけれど)
くれナビ なんでも質問箱


なお、この項、迹見首赤檮から大きく話がそれたように思うかもしれないけれど、これは次に書くことに大いに関係しているのである。


(つづく)