信長さま×犬千代

「織田信長がゲイだという根拠ってあるの?」の続き。

この頃、信長とは衆道(同性愛)の関係にあったことが加賀藩の資料『亜相公御夜話』に、「鶴の汁の話(信長に若い頃は愛人であったことを武功の宴会で披露され皆に羨ましがられた時の逸話)」として残されている。

前田利家 - Wikipedia


近代デジタルライブラリー」より

一、利家様、鶴の汁上り候へば、早や御蟲に当り申し候、其故御物語なされ候、信長公、安土山御城に成らせられ候て、何れも御振舞下され、鶴色々の珍物の上に、信長公、御引物を御自身なされ候、柴田前にて御意に、貴殿を始め、度々手柄致され候故、斯様に天下を静め、万事成就、満足申し候由御意、其外夫々に御言葉、扨七八人末座に利家様御座候へば、御引物下され候刻、利家様、若き時は、信長公御傍に寝臥なされ、御秘蔵にて候と、御戯言、御意には、利家其頃まで大髭にて御座候、髭を御取り候て、其方稲生合戦の刻、十六七の頃、武蔵守内宮居勘兵衛といふ者の首を取り侯刻、我等十一になり、合戦初に候、其首を、犬忰なれども、此手柄を見よと、我等馬の上にて振り候へば、味方気を得て、只七八百計りにて、三四千の人数を押崩し候、其如く各々手柄故、斯様に我等天下を静め、万事成就し候由、御意にて、扨も忝き御諚と存ずる所に、御近習衆、通ひを仰せられ衆までも、さても〳 〵冥加なる又左殿かなと、あやかり者と奪合ひ候様に、通ひ物候故に、箸にて、忝き御諚と、ひた物食ひ過し、鶴汁を是非なく過したれば、其後中り申し候と御意にて、御笑なされ候、右の通り、太閤様も度々仰せられ候由、金森法印・羽柴下総守なども、利家様へ御申なされ候を承り、書付け申し候、右合戦の刻は、柴田殿は武蔵守殿衆になる。

これが前田利家が信長の「愛人」だった根拠だそうだ。


俺にはそんなことが書いてあるようには全く見えないんだけど。


確かに「信長公御傍に寝臥なされ、御秘蔵にて候と、御戯言」とは書いてある。だけどこれが性的なことを言っているとは思えない。


「御傍に寝臥なされ」とは、利家が「小姓」のようなことをしていたという意味でしょう(利家が「小姓」だったのかは俺はまだ調べていないけれど)。信長の身辺警護とか身の回りの世話をするんだから、近くにいなければならないのは当然(そこから一緒の布団に寝てたみたいに考えるのは考えすぎ)。


「御秘蔵」とは「秘蔵っ子」って意味でしょう。「秘蔵っ子」に性的関係の意味があるのかっていえば、そんなことはもちろんない。今でも普通に使う。


「御戯言」とは冗談という意味。何が冗談かといえば、それは、性的関係が冗談という意味ではなくて(そう解釈すればそれはそれで否定されてることになるけど)、「御秘蔵」というのが冗談という意味で利家が謙遜して言っている(あるいは実際に「秘蔵」というほどではなかった)ということでしょう。


実際に、その後「稲生合戦」で手柄を立てたことを言っているんだから、信長が「秘蔵」したというのは、利家の武勇によるところが大きいんじゃないのですかね?


これが、どういう話かといえば、安土城で信長が家臣に、天下を静められたのはお前達のおかげであると感謝の言葉を述べた際に、柴田などの幹部の末座に利家がいて、信長がまだ尾張一国を平定できていないどころか、家中でさえ兄弟で対立していたときからの家臣であって、利家のおかげで今日があるということを述べたという話ですよね。そこにどうして男色(衆道)の話が出てくるんでしょうかね?


当然これは信長の天下取りを助けたという意味の話だと考えるべきでしょう。ここから信長と利家に性的関係があったと考えるのは誇大妄想というものでしょう。正直「バカじゃねえの?」って思う。