桃太郎の政治的な利用

「桃太郎の鬼の立場で」「北方領土はどこの国?」日教組教研集会、とんでも教育の報告相次ぐ+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

太平洋戦争の際には桃太郎は軍国主義という思想を背景に、勇敢さの比喩として語られていた。この場合桃太郎は「鬼畜米英」という鬼を成敗する子としてスローガンに利用された。

桃太郎 - Wikipedia


今は反戦教育の教材と使われる。中身は違えど「昔話」の政治的な利用という伝統は続いているというわけだ。かつてナチスは「赤ずきん」を政治的に利用したというから、その伝統を引き継いでいるともいえるだろう。
メルヘンの「起源」


ナチスや戦前の日本は悪いことに利用したからダメなのであって「正義」のために利用するのは正しいということなんだろうか?みんなそれぞれの「正義」のためにやってたんだろうけど…


というか、そのような問題意識はそもそも頭の中にないかもしれない。「桃太郎」という話は平和に暮らしていた鬼を侵略したという話だと心底信じていたならば「ただ真実を教えているだけ」であって、利用しているという感覚自体を持たないものなのかもしれない。



ところで「鬼の立場になって考えてみよう」と子供に問う場合、「鬼」とはどういう存在であるのかという基本的な設定が必要になってくるだろう。果して鬼は人間に限りなく近い存在なのか?あるいは「人間」そのものなのか?それとも人間とは全く異なる価値観を持った存在なのか?そういう設定のない場合に「鬼の立場になって考えてみよう」と問われれば、多くの場合「自分が鬼だとすれば」という形で思考することになるだろう。


そのような教育を受けた人は、やがて成長し、価値観の違う人達の気持ちを自分の価値観で推し量り、「○○は良いことをしたのに批判されるのはおかしい」みたいなことを言い出すかもしれない。すなわちネトウヨなどの育成に一役買うことになっているかもしれない(価値体系の大きく異なる生物の気持ちがわかるなんてことであれば「ニセ科学批判」の方々の参戦もあってもよさそうなものではある)。


この問題を「右側」とされる産経が問題提起しているけれど、単に反戦教育の是非とかいった以上の問題を含んでいる。むしろ左側の人こそよく考えてみるべきことだとすら思うのである。