百姓一揆と「お上にたてつく」

上の「なぜ日本では「市民運動」が格好ワルイいのか?」という記事に

政府は「お上」であり、市民運動とは「お上にたてつくこと」に相当する

とある。コメント欄やはてなブックマークのコメントにも百姓一揆について書かれているものがある。


俺は百姓一揆についてほとんど知識が無い。「お上にたてつく」というのは良く聞くけれど、当時の感覚としてそういうものがあったのかも知らない。


ここで唐突に思い出すのが有名な麿のセリフ。

「だまりゃ!麿は恐れ多くも帝より三位の位を賜わり中納言を務めた身じゃ!すなわち帝の臣であって徳川の家来ではおじゃらん!その麿の屋敷内で狼藉を働くとは言語道断!この事直ちに帝に言上し、きっと公儀に掛け合うてくれる故、心しておじゃれ!」

一条三位とは (イチジョウサンミとは) [単語記事] - ニコニコ大百科


ここでの論理は、麿は帝(お上)の家臣である。その麿にたてつくのは「帝(お上)にたてつく」のも同然だってことでしょう。


ところがその麿に対して菊亭左大臣

さて、それはどうかな、一条三位
そう三位、そなた今この方々を狼藉者扱いいたしたが、
その方の罪はどうなのじゃ!
胸に手を当てて、よう考えてみぃ!
その方の悪事、この菊亭が見届けたぞ!言うなれば、公家の面汚しじゃ!
この上は身を清め、帝のお沙汰を待つがよいよ!

画像も貼らずにスレ立てとな!?のガイドライン 44
と、「お前が悪い」と叱られてしまったのであった。


さて、江戸時代の百姓にとって「お上」とは何か?直接支配しているのは領主及びその統治機構である。だが領主の上には将軍様が存在するのである。


領主側としては、自分達に抵抗するのは将軍に抵抗するのも同じだという論理になるのかもしれない。しかし百姓側の論理でそうなるとは限らない。


百姓一揆が起こって領主側が恐れるのは一揆そのものだけではない。幕府側がそれに関心を示すようなことがあれば、領主の統治能力が疑われて転封・減封、さらには御家お取り潰しなんてことになるかもしれない。そのことは百姓側も十分承知していたのではないだろうか?百姓達はしたたかにそういうことも計算した上で行動していたのではないだろうか?


ただし、これは諸刃の剣でもある。幕府が百姓側に有利な判断をするとは限らない。過激な行動に出て幕府が領主を全面的に支持するようなことがあれば、領主は幕府の手前もあるから、幕府が中立の場合よりも厳しい罰を百姓側に課するかもしれない。だから一揆側は節度を保った行動を取る必要があるだろう。刀狩に関して、実は江戸時代の百姓は刀や鉄炮を所有していたけれど一揆に使うことは自粛していたというのも、こういう理由なのかもしれない(俺の推測であって良く知らないけれど)。


(追記)

 こうした百姓たちの意識を支えた「仁政イデオロギー」は、「多くの場合、それら苛政を実行しているのは君側の奸である悪役人であり、本来的には情け深い仁君は、必ずや仁政を復活してくれるはずであるという論理構造を持っていた」(187頁)。

保坂智『百姓一揆とその作法』 - ミズラモグラの巣で