元始、女性は実に太陽であった

平塚らいてう(2)ー元始、女性は太陽であったか。: 保立道久の研究雑記

 らいてうの起草による『青鞜』発刊の辞は見事なものである。これはらいてうが文筆の人であったことをよく示している。しかし、私は、「元始、女性は実に太陽であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く」という冒頭の有名な一節の真理性には、歴史家として疑義がある。細かなことといわれるかもしれないが、らいてうが目の前にいれば正確に話してみたいことである。らいてうの文章は、日本の思想史にとって面とむかって考えるべき問題を含んでいると思うからである。

 考えてみると、月が「他の光」、つまり太陽の光をうけて輝くというのは近代の天動説にもとづく知識である。

 天動説をもって、「元始」の時代を考え、どうしても「太陽神」を中心に考えてしまうのは神話論としてはまずいと思う。そして、フェミニズムの問題を歴史から考える場合には、これは意外と重要ではないかと思う。


俺は天文学とか超苦手なのだが「近代の天動説」とは一体何であろうか?


「近代の地動説」の誤りかとも思ったが、下の引用文にもそう書いてあるところを見ると、そうではないのかもしれない。「近代」の意味が一般的な意味とは違って「元始ではない時代」という意味なのかもしれないとも思うが、やはりそういう「近代」の使い方は無いようにも思う。「近代における天動説」という意味かもしれないとも思うが、その場合は近代に限定する意味がわからない。


月が「太陽の光をうけて輝く」ということは、いつから知られていたのか?ちょっと調べてみたのだが皆目わからない。日食や月食の予想は暦道でされていて、その仕組みもわかっていたはず。それがわかっていたなら「太陽の光をうけて輝く」ことも知っていたのではないか?とすれば三代実録が編纂された平安時代には知っていたのではないか(自信ないけど)。


そもそも「近代の天動説にもとづく知識である」などと「天動説」(地動説の誤りかもしれないが)とわざわざ書くことに意味があるのだろうか?元始だって天動説だっただろう(多分)から余計だと思うし、仮に「地動説」の誤りだったとしても、月が「太陽の光をうけて輝く」のは地動説を採用して初めてわかるというものでもないから、やはり余計であろう。


俺の読解力に問題があるのかもしれないけれど、どうにも理解できない話だ。


※ところで、「元始、女性は実に太陽であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く」というのは何となく天照大神を連想させるけれど、はっきりとそう書いてあるわけではない。ちょっと調べてみたけれどらいてうがそう言ったという話もなさそうで、そう受け止める人がいるという話のようだ。女神アマテラスについては「太陽は女性であった」であって「女性は太陽であった」にはならないと思われ。また「元始、女性は実に太陽であった」とは元始には女性が太陽とみなされていたという話でもないように思われ。


(9/3追記)
張 衡(ちょう こう、78年 - 139年)

著書の「霊憲」において月を球形と論じ、月の輝きは太陽の反射光だとした。「霊憲」には以下の記述がある。

 月光生于日之所照,魄生于日之所蔽;当日則光盈,就日則光尽也。

張衡 (科学者) - Wikipedia


中国の天文学


(9/3/18/30追記)
「近代の天動説」から「近代の地動説」に訂正されている。しかし、いずれにせよ月が太陽の光をうけて輝くことは天動説・地動説とは関係なく、上の「中国の天文学」という記事を見ると中国では紀元前から知られていたようだ。その知識は日本にも古くから伝わっていたと思うのだが。なお地動説にとって重要なのは「金星の満ち欠け」である。