元始、女性は実に太陽であった(その2)

平塚らいてう(2)ー元始、女性は太陽であったか。: 保立道久の研究雑記

にHK氏からコメントがあった。この記事は保立道久氏の主張への疑問から書いたもので、調べながら書いているので多少まとまりがない。改めて整理してみる。


まず保立氏は、

 考えてみると、月が「他の光」、つまり太陽の光をうけて輝くというのは近代の地動説にもとづく知識である。

と書いているけれど、月が太陽の光をうけて輝くことは中国で紀元前から知られていた。これは明白は間違い。(なお保立氏は当初「地動説」と書くべきところを「天動説」と書いていたのを後で訂正した)


次に保立氏は、「元始、女性は実に太陽であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く」の意味を、「昔は女性を太陽とみなしていたが、現在は月とみなしている」と受け取り、古代において月神は農業神でもあったので

東アジアにおける日月の観念としては、むしろ「元始、女性は月であった。しかし、太陽を産む月であった」というのが正しいように思われてくるのである

と主張し「神話論としてはまずいと思う」とも言う。


しかし、平塚は「太陽とみなしていた」という趣旨のことは言っておらず、そこは突っ込むところでは全然ないのだ。そもそも神話のことなど言っておらず近代の視点で語っているのに、神話がどうのこうのと言われても「それがどうした?」って話だ。


平塚が「元始、女性は実に太陽であった」と言っているのは
平塚らいてうの「原始女性は実に太陽であった••••」とは具体的にどういう意味なの... - Yahoo!知恵袋
のアンサーにsirayukimasiroさんが

「元始女性は実に太陽であった」原始共同体の社会では、集団結婚なので、母親はわかるが、父親がだれだかわからない時代が長く続いた。生産、生命の再生産、つまり、子どもを産むということは、奇跡だったのです。親は、母親しか、はっきりしない。子どもを産むという、生産力の象徴ですね。女性が、高い尊敬をもたれていた。モルガン「古代社会」エンゲルス「家族、私有財産および国家の起源」を読んでみてください。

と書かれているのがおそらく正解だろう。モーガン(1818-1881)、エンゲルス(1820-1895)で平塚らいてう(1886年-1971)だから、その影響を受けた上で、近代の天文学の知識でもって「女性は太陽であった」と表現したのだろう。


陰陽思想で女性と月が同じ陰に属していたということや月の女神がいることも全く関係がないわけではないだろうけれど、そんなことは文中に一言も書かれていない。本質はこれらの近代的な思想・知識の影響であって、陰陽思想や神話でこれを理解しようとすることや、ましてや勝手にそう理解しておいて突っ込むのは間違っていると思う。


(追記)それにしても検索するとアマテラス説が圧倒的に多い。しかしそれを否定する人も僅かながら存在する。
http://otasuke.goo-net.com/qa4897794.html


これをどう捉えるかは女性解放運動にとっても重要な意味を持つはずだ。「月ではなく太陽なのに月とみなされている」と「太陽だったものが事実として月になってしまったので月であるといっている」では全く違う。前者は差別解消的な話であって女性が変わる必要はないが、後者は女性だけの責任ではないだろうが実際に月になってしまった女性に再び輝けと言っているわけだ。