村の寄り合いは全員一致?

池田信夫 blog : 失われた日本のコモンロー - ライブドアブログ

その結果、意見の違いを調停する実用的なルールがないため、現実のガバナンスには貞永式目以前の「古層」的なしくみが残り、村の寄り合いのような全員一致で意思決定が行なわれる。


新しい歴史教科書・その嘘の構造と歴史的位置・近世の日本:18/村と百姓

 こうして村政は次第に、百姓全体の意向を反映するものに変化し、村の決定機関である寄合における意思決定も「入れ札」という投票方式による多数決となっていった。従って近世後期になると、有力百姓の間で選挙または持ちまわりで選出されていた名主も、百姓全員の入れ札で選出されるようになっていく。いわば村の自治は拡大し続けたのである。

「多数決」って書いてありますね。


ただし「一味同心」という言葉がある。

心を一つにして力を合わせること。また、その人々。
「国々の大名一人も残らず―して」〈太平記・三五〉

いちみどうしん【一味同心】の意味 - 国語辞書 - goo辞書

 中世において人々が神仏の前で合議する時は、「一味同心」するとか「一揆」するとか呼ばれていた。これは神仏の前で集団で神仏に誓う事によって、その集団自身の決定が「神聖なもの」となるという観念からきたものである。だから、「一味同心」した人々の決定は「神の意志」と同義になり、多くの人々の行動を規定する力を持つのである。

新しい歴史教科書・その嘘の構造と歴史的位置・中世の日本批判20:農村の自治


もうひとつの民主主義(野田俊作の補正項 2008/08/31)


ま、俺も詳しくないんだけど。


それにしても、

貞永式目そのものは武家基本法として江戸時代まで残るが、幕藩体制のもとでは各藩のローカルな支配権が強いため、地域を超える普遍的な規範意識が育たなかった。

と日本では「イギリスのコモンローのように社会全体に共有される規範にはならなかった」というのはいいんだけれど、そのローカルな支配権も慣習法に依拠していると思われるのに、そこで

おかげで行き当たりばったりに「コンセンサス」やら「コンプライアンス」やらを求めるため、何も決まらない

という話になるのは奇妙。


(ちなみに決定したことに全員が従わなければならないというのを「全員一致」というのなら、現代においてもそうだし、日本だけでなく世界的にもそうだと思う)


(追記16:17)入れ札の実例があった
頭分入札留
4例ある中で満場一致は1例だけ