忠犬ハチ公の(ウィキペディア記事の)歴史(その2)

異論再び

忠犬説に対する異論

主人の生前も死後も毎日のように渋谷駅に現れる本当の理由は、駅前の屋台の焼き鳥屋からもらえるエサが目当てであったという説がある。この説には、ハチ公の死体を解剖した際に胃の中に細長い焼き鳥の串が数本突き刺さっていたという事実が根拠を与えている。

また渋谷出身で、生前のハチ公を実際に見ている鉄道紀行作家の宮脇俊三の著作「時刻表昭和史」にもハチ公を可愛がる駅周辺の人達が与えるエサが目当てであったという記述があり、この説の有力な根拠となっている。

2009年7月9日 (木) 20:54
2009年8月2日 (日) 06:05
2009年8月10日 (月) 07:29



異論に対する反論

忠犬説に対する異論

主人の生前も死後も毎日のように渋谷駅に現れる本当の理由は、 駅前の屋台の焼き鳥屋から貰えるエサが目当てであったという説がある。 この説には、ハチ公の死体を解剖した際に胃の中に細長い焼き鳥の串が数本突き刺さっていたという事実が根拠を与えている。

また渋谷出身で、生前のハチ公を実際に見ている鉄道紀行作家の 宮脇俊三の著作「時刻表昭和史」にもハチ公を可愛がる駅周辺の人達が与えるエサが目当てであったという記述があり、 当時からハチ公を誹謗中傷していた人間たちの間では、この説の有力な根拠にもなっている。 しかし、実際のハチ公の行動からは、この説を肯定できない矛盾がいくつも存在している。

・屋台が出ない朝九時にも必ず駅に通っていた(朝九時は上野博士の出勤時間) ・餌をもらえるようになったのは、駅通いしていた九年間のうち、新聞で有名になった最後の二年間のみ ・それ以前は駅の周辺の人々(おもに駅員、屋台の店主、子供)たちから、時として暴行を受けるほどの虐めを受けていた ・二番目の飼い主の小林氏からは大事に飼育されており、腹をすかせるということはなかった。 ・上野博士が出てくる改札口前に座っていた。 ・駅に向かう途中、上野邸に立ち寄っていた。

ハチ公の存在を世に出した斎藤弘吉氏の証言に次の一文がある。 『(ハチ公は)駅員やヤキトリ屋にいじめられる。かわいそうなので、何とかしてやろうと、このことを日本犬の会報に書いた。 /しかし、多くの人に知ってもらうには、と、ふと思いついて朝日新聞に同じものを投書した。 (略)しかし朝日新聞の記者は、私のところへは来ず、直接、渋谷駅へ写真班をつれて取材に行ったらしい。』 (「ハチ公文献集」収録「週刊朝日」の「銅像は何も云わないけれど」中「第二の証言」より)

これらの事実から、焼き鳥目当て説は忠犬を否定する誹謗中傷から出た単なるアンチ説であり、焼き鳥は、たまたま食べていたという方が自然である。

2009年9月6日 (日) 01:19
2009年9月6日 (日) 01:26
2009年9月6日 (日) 01:27
2009年9月6日 (日) 01:42
2009年9月6日 (日) 13:23
2009年9月7日 (月) 06:06
2009年9月7日 (月) 06:18
2009年9月7日 (月) 06:25
2009年9月7日 (月) 06:27
2009年9月7日 (月) 06:28

ハチ公を新聞に投書した斎藤弘吉によれば、駅員やヤキトリ屋にいじめられるハチ公がかわいそうなので、日本犬の会誌にこのことを書いたが、より多くの人に知ってもらうためにと、朝日新聞に投書したという。自著「日本の犬と狼」のなかで、次のように記している。

「有名になるといつの世でも反対派が出るもので、ハチが渋谷駅を離れないのは焼鳥がほしいからだと言いだす者が出た。ハチに限らず犬は焼鳥が一番の好物で、私も小林君もよく買って与えていたが、そのためにハチが駅にいるようになったものでないことは前述の通りである。」(「日本の犬と狼」より)

2009年9月10日 (木) 09:25

ハチ公を新聞に投書した斎藤弘吉によれば、駅員やヤキトリ屋にいじめられるハチ公がかわいそうなので、日本犬の会誌にこのことを書いたが、より多くの人に知ってもらうためにと、朝日新聞に投書したという。自著「日本の犬と狼」のなかで、次のように記している。

「(ハチは)困ることにはおとなしいものだから、良い首輪や新しい胴輪をさせると直ぐ人間に盗みとられる。(中略)また駅の小荷物室に入り込んで駅員にひっぱたかれたり、顔に墨くろぐろといたずら書きされたり、またある時は駅員の室からハチが墨で眼鏡を書かれ八の字髯をつけられて悠々と出て来たのに対面し、私も失笑したことを覚えている。夜になると露店の親父に客の邪魔と追われたり、まるで喪家の犬のあわれな感じであった」

「なんとかハチの悲しい事情を人々に知らせてもっといたわって貰いたいものと考え、朝日新聞に寄稿したところ、その記事が大きく取り扱われ、昭和七年十月四日付朝刊に『いとしや老犬物語、今は世になき主人の帰りを待ちかねる七年間』という見出しにハチの写真入りで報道され、一躍有名になってしまった。(中略)朝日の写真班員の来駅で駅長がびっくりしてしまい、東横線駅ともども駅員や売店の人々まで急にみな可愛がるようになってしまった」

「有名になるといつの世でも反対派が出るもので、ハチが渋谷駅を離れないのは焼鳥がほしいからだと言いだす者が出た。ハチに限らず犬は焼鳥が一番の好物で、私も小林君もよく買って与えていたが、そのためにハチが駅にいるようになったものでないことは前述の通りである。」(斎藤弘吉著「日本の犬と狼」雪華社 より)

2009年9月10日 (木) 11:46


2009年9月26日 (土) 22:02
2009年10月28日 (水) 16:20

これらの事実から、焼き鳥は単にハチ公が死亡した時期に、たまたま口にしていただけと見るほうが自然である。

以上から、焼き鳥は単にハチが死亡した時期にたまたま口にしていただけとも考えられる。

2010年1月13日 (水) 01:36

(これはハチの生前にも忠犬を否定する悪意人々によって広められた中傷が、そのまま説となったものと考えられる)

2010年4月17日 (土) 08:07


(上記分消去)
2010年7月6日 (火) 19:23


2011年12月17日 (土) 09:19


大幅改訂+「独自研究」タグ
2012年2月11日 (土) 09:29版

2012年2月15日 (水) 15:24版


2012年6月17日現在