臨終前に死んだ人などの姿を見た人が4割

死亡前、鬼籍の親・仏ら「お迎え」…4割が体験 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
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 自宅でみとられた患者の約4割が、亡くなる前、すでにいない親の姿を見たと語るなど、いわゆる「お迎え」体験を持ち、それが穏やかなみとりにつながっているとの調査研究を、宮城県などで在宅医療を行っている医師らのグループがまとめた。

まず、大前提として現世に存在しない人の姿を見たといっても実際にそこに現れたわけじゃないのは当然である。


それにしても4割って多くね?と思ったんだが、内訳として、

 患者が見聞きしたと語った内容は、親など「すでに死去していた人物」(51%)が最も多かった。その場にいないはずの人や仏、光などの答えもあった。

とあるから、「すでに死去していた人物」に限れば4割の5割で2割ということになる。


これなら、まあ妥当かなとも思うが、でも遺族が答えているんだから、遺族の目にそれが見えたわけでなし、本人が家族に「見た」と言わなければわからないことであるから、見ても言わない人がいるだろうということを考えると実際に見た人の一部ということになる。すると、やはり多くないだろうか?(ただし「見えている、聞こえている、感じているようだった」も含まれているからその数字がどれくらいかということも重要。これってどういうことよと思う。安らかな顔をしているから「きっと誰々が見えているんだろうねえ」みたいなのも含まれるのか?)


ここで疑問点がいくつか。


まず「亡くなる前」というのはいつのことかということ。前日、一週間以内、一ヵ月以内、一年以内では大きく数字が異なってくるだろうと推測されるが、それが記事では示されていない(しかしいくら専門家が書いた記事じゃないとしてもこんな大事な部分を省略するかね?と思う。まさかとは思うがアンケート自体が「亡くなる前」という漠然としたものだったりして)。


次に、それを見たのは患者がどういう状態のときかということ。一番重要なのは寝ている時か、起きている時かということ。そりゃ夢でなら見ることは珍しくないだろう。俺だって見る。ただし人には言わない。でも自分がもうすぐ死ぬだろうと覚悟していると「昨日の夢におばあちゃんが出てきたのよ、私もそろそろかねえ」みたいなことを言うことは珍しくないかもしれない。


また起きている時の場合は周囲に人がいる時かという問題もある。いない時かというのも気になる。ドラマなどでたまに見かけるが、子が見舞いにきたとき「ほら、あそこにおじいちゃんが見えるでしょ」みたいなシーンがあるけれど、そういうことって実際にどれくらいあるんだろうか?意識が朦朧としていたらあるかもしれない。


以上を考えると、条件によって「そりゃまあそうだよね」なのか「意外だなあ」なのか印象が大きく異なってくるように思われる。


(追記21:20)
ふと思ったんだが、この調査の目的は客観的事実ではなく「感じたか」ということに重点が置かれているのではあるまいか?すなわち幻覚や夢を本人が実際に見たのかわからなくてなくても周囲が見てるように感じたまで含めて「見た」であり、また「患者は死に対する不安が和らぐように見える」という点を見ても、客観的な見方ではなく、遺族の感覚が重要なのではあるまいか。「安全」と「安心」の違いみたいなものだろうか?読み返したら「穏やかなみとり」(「穏やかな死」ではなく)と書いてあるし。誤読してしまったみたい。見出しも悪いですよね。「患者はお迎え体験をしたと答える遺族4割」とかにするべきだったんじゃないんだろうか?