フランス風刺画問題(その4)

「すばらしい。福島のおかげで相撲がオリンピック競技になった」

というのがどうにも理解不能だ。ふと思ったのだが「福島のおかげ」というのは「福島原発事故の被害によって日本に世界の同情が集まり、日本の相撲がオリンピック競技に選ばれた」という意味なのかもしれない。


だとすれば、この風刺画はこの前IOC総会で2020年にレスリングが実施されることが決まったことのパロディなのかもしれない。ということは風刺画の風景は未来ではなくて2013年夏の風景ということになり、背景の原発福島原発で、力士は日本人の可能性が高くなる。ということは三本の手や足があるというのは、原発事故が制御不能になって被爆者の生殖細胞が傷ついたということではなくて、現状における被爆者を表現していることになる。


であるならば、これはあまりにもひどいといわざるをえず全く擁護できない。しかし、これはあくまでも推理であり、本当の意味は不明だ。昨日俺がした解釈はまだ捨てきれない。


風刺画を載せた週刊紙カナール・アンシェネの編集長は「謝罪するつもりはない」と言っているそうだ。

しかし、オロ氏はインタビューで「(風刺画は)誰かを傷つけるものではない」と明言。さらに「日本政府の反応に当惑している。問題の本質は東京電力の(汚染水などの)管理能力のなさにあり、怒りを向けるべき先はそちらだ」などと話した。

汚染水風刺画の仏紙「謝罪しない」 日本大使館は抗議 - MSN産経ニュース(共同)


福島原発事故の被害者をあのように表現したのではない」という意味なのか、「被害者をあのように(誇大に)表現して、そうなったのは東電の責任だというが風刺画の趣旨だから謝罪しない」という意味なのかがこれだけではわからない。


この絵の解釈は画家が放射能についての正しい知識を持っているかということで大きく異なってくる。これが2013年現在を表現したものであった場合、被爆者にガンや白血病患者が増えたというような類のものならば現状ではそこまで深刻だとは公式に認められていないけれどまだわかる。しかしたとえ誇大表現だとしても被爆者の手や足が増えるなんてことはまずあり得ないことであり不適切な表現だ(ヨーロッパではそのような表現がありふれているのだとしても許されるものではない。たとえばサッカーの川島選手の腕が四本あるなどというのは明らかに不適切表現だ)。そうではなくてこれは福島原発が制御できなくなった未来にありうる姿だという意図ならわからなくもない(とはいえ被爆者の子孫にそのような異常が増えるというのも科学的に立証されているわけではないらしいからそれでも不適切だという意見はありうる)。


この絵の世界は審判が防護服を着ているという状態であるのにもかかわらず、力士は裸であり健康に深刻な影響をもたらすだろう。リポーターは防護服の頭部をはずしてレポートしているのもおかしい。絵的にそうしないとわからないという理由があるのかもしれないが、画家自身が放射能に無知だという可能性もある。


芸術の意味は受け取り手によって様々でよいなどということがよく言われるけれど、この場合は受け取り方によっては人を傷つけることになるものだ。この風刺画は一瞬見ただけでは意図がわからないだけでなく何度見直しても意図が不明瞭であり、それは受け取り手の理解力の責任ではない(そこが麻生ナチス発言とは違う)。


そういう意味では画家にたとえ悪意がなくても、この風刺画は不適切だということになろう。