ついでについでに春木屋善兵衛説。
・春木屋善兵衛説 - 同じ文政年間(1818年–1831年)の『江戸買物独案内』によると、土用に大量の蒲焼の注文を受けた鰻屋、春木屋善兵衛が、子の日、丑の日、寅の日の3日間で作って土甕に入れて保存しておいたところ、丑の日に作った物だけが悪くなっていなかったからという説。
『江戸買物独案内』はデータベース化されている。
⇒江戸買物独案内
確かに「春木屋善兵衛」は記載されている。
でも、書いてあるのは
「江戸前 神田和泉橋通 丑ノ日 かばやき所 元祖 春木屋善兵衛」
だけ。具体的には何も書いてないように見えるのだが一体どうゆうこと????
ただし、「丑ノ日元祖」 とあるのは注目すべきだろう。
それにしてもこのソースの不確かさは何なんだ?
大元のソースが事実と推理をごちゃまぜにして書いてあったのが、そのまま確かめもせずに引用、さらに孫引きされて拡散していったんじゃなかろうか?
しかし随分長いこと平賀源内説(および諸説)は流通していると思われるのだが、どうして反論があるにはあるにしても目立たないんだろうか?不思議。