大山誠一氏の「聖徳太子虚構説」とは

去年11月24日に言及した頃にはほとんどブックマークされてなかったブログなのに、あれよあれよという間に人気ブログの仲間入りした「歴史ニュースウォーカー」(旧称「恵美と嘉樹の歴史ニュース&BOOKウォーキング」)


最新記事も既に10ブクマ
それでも「聖徳太子は実在する」たった一つの理由 - 歴史ニュースウォーカー
はてなブックマーク - それでも「聖徳太子は実在する」たった一つの理由 - 歴史ニュースウォーカー


しかしこれはいただけない。

 この大山説の「聖徳太子いなかった説」の柱は、

 厩戸皇子は実在したが、生きていたときは「聖徳太子」と呼ばれていなかった

 というものです。

いやいや、そういうことじゃないですって。そんなことは常識だし、それで論争になったりしません。

 もっとも大山さんの説は、「聖徳太子って呼ばれていなかったから、いなかったんだよ、やーい、やーい」という単純なものではなく、「聖徳太子」という尊称をつけたのが、鎌足の息子の藤原不比等であって、それが奈良時代の政治や社会に、うんぬんかんぬん・・・となるわけですが。

とはあるけれど「尊称をつけた」とかいった程度の問題じゃありません。


ウィキペディア

大山説の概要「有力な王族厩戸王は実在した。信仰の対象とされてきた聖徳太子の実在を示す史料は皆無であり、聖徳太子は架空の人物である。『日本書紀』(養老4年、720年成立)に最初に聖徳太子の人物像が登場する。その人物像の形成に関係したのは藤原不比等長屋王、僧 道慈らである。十七条憲法は『日本書紀』編纂の際に創作された。藤原不比等の死亡、長屋王の変の後、光明皇后らは『三経義疏』、法隆寺薬師像光背銘文、法隆寺釈迦三尊像光背銘文、天寿国繍帳の銘文等の法隆寺系史料と救世観音を本尊とする夢殿、法隆寺を舞台とする聖徳太子信仰を創出した。」

聖徳太子 - Wikipedia


とあるけれど、これをもっとわかりやすく説明すれば、


厩戸王という人物は実在した。実在したけれど、同時代の人々にっとっての厩戸王は血筋の良いおぼっちゃまという認識はあっても、それ以外には特にどうということもない平凡な人物である。後世の史料にあるような皇太子・摂政でもない。当時、皇太子・摂政という称号がなかったからということではなくて、政治的に重要な人物ではなかったという意味だ。それを藤原不比等たちが「聖人」にでっち上げたのだ。「聖人」にでっち上げるのは誰でもよかったんだけれど厩戸王が選ばれたのは、厩戸王に関する記録がほとんど無かったから。すなわち厩戸王の業績を大げさに書いたとか潤色したとかいったことではなくて、記録が無いから根も葉もないことを捏造しやすかったということ。


たとえるなら、安倍首相が後世に「日本大将軍」と呼ばれることになったけれど、それは同時代には呼ばれていなかったし、そもそも将軍なんて役職はなかったし、そのように褒め称えられることもしていない、というような話ではなくて、確かに国会議員ではあるけれど首相にも大臣にもなっていないし、大した業績もない某議員が後世になって2013年の日本の偉大な指導者にでっち上げられたというようなことを主張しているのです。


大山説については歴史に詳しくてもちゃんと理解できてない人(否定派も肯定派も)が結構いるような予感。そういうのを見て大山氏は自分を批判する人は自分の主張をわかってない、だから自分が正しいのだ。みたいな迷宮にはまっていく(ちゃんとした批判もあるのにそっちはスルー)というトホホの展開になっているというのが俺の認識。