イエス・キリストは馬小屋で生まれたのではない

『聖徳太子研究の最前線』というブログがある。著者は駒澤大学仏教学部教員の石井公成氏。今年、天漢日乗さんのブログ記事で存在を知った。今読んでいる日本史関連のブログでは、もっとも専門的で中身が濃くて参考になり読み応えのあるものだと思う。


このブログについて何か書きたいとは思っていたのだけれど、日本史が好きだけれどド素人な俺が言及するのは恐れ多いような、そんな感じがしてたので、今まで書かなかった。


今回書こうと思ったのは、この記事を読んで、やっと言及できるネタが見つかったから。
田中英道『聖徳太子虚構説を排す』の問題点 - 聖徳太子研究の最前線

 また、田中氏は、聖徳太子伝説について述べる際、「馬小屋で生まれた」(97頁)としてキリストとの類似を指摘し、戦前に唱えられた景教影響説を再評価するのですが、これも「厩」という語の現在のイメージにとらわれ、文脈と当時の語感に注意していない読み方です。

 『日本書紀』推古元年の「(宮中の役所を視察して回っていた皇后が)馬官に至り、厩戸に当たりて」安らかに産んだという記述は、現代に置き換えれば、「皇室の御用自動車の車庫兼整備工場[英国から派遣された技術スタッフやその二世・三世が仕切っており、英語で話している]を視察した際、その入り口まで来たところで安産した(そのせいもあってか、太子は成人すると車好きとなり、スポーツカーを高速で飛ばすようになった)」などといった感じでしょうか。『日本書紀』は、伝承に基づいて潤色しているのでしょうが、そもそも后が宮中の役所を視察していて「厩戸に当たりて」安産したというのと、「馬小屋の中で生まれた」とでは大変な違いです。


厩戸皇子」とキリストの出生に類似点があるというのは良く聞く話である。俺もつい最近までこのことに重大な関心を持っていた。


しかしながら、実は、キリストが馬小屋で生まれたという話は存在しないのである。


イエスは馬小屋で生まれたか? 平塚 徹(京都産業大学)
キリスト生誕を描いた絵画などで見られるのは「馬小屋」ではなくて「家畜小屋」なのであった。それが翻訳の過程で「馬小屋」になってしまったのだ。したがって『日本書紀』が作成された時代に、仮に日本にキリスト教が伝来していたとしても、それを元にして厩戸皇子の出生伝説が作られたなどということはおよそ考えられないのである。


これは決定的にキリストと聖徳太子の関係を否定するものだと思う。石井公成氏の言うように、

そもそも后が宮中の役所を視察していて「厩戸に当たりて」安産したというのと、「馬小屋の中で生まれた」とでは大変な違いです。

というのはその通りだけれども、それでも「厩戸」と「馬小屋」に何らかの関係がある可能性は僅かながらでもありそうだ。ところが、キリストが「馬小屋」で生まれていないのなら、最早何の関係もないと言っていいだろう。


だから、聖徳太子とキリストの関係を否定するのに長々とした説明は必要ない。「キリストは馬小屋で生まれていない」と言えば済む話なのだ(それでも納得しない人はいるかもしれないけれど、そういう人は何を言っても納得しないだろう)。


ところが、今まで聖徳太子キリスト教の関係を否定する話は何度も見たことがあるけれども、この肝心の「キリストは馬小屋で生まれていない」という話を俺はつい最近まで知らなかったのである。石井氏の記事でもそれが言及されていない。


なぜかと考えるに、一番簡単な答は「そのことを知らないからだ」ということになるのではなかろうか(それよりも別の説明のほうが説得力があると考えているという可能性もなくはないかもしれないけれど)。


もちろん聖徳太子の研究者がキリストが馬小屋で生まれたのではないことを知らなかったからといって、批判される理由はない。俺も知らなかったんだし。


ただ、日本史の専門家がそのことを知らないから説明に使わないのか、それとも別の理由があるからなのかというところが、気になって気になって仕方のないところなのであります。



※前に書いた記事
イエスはどこで産まれたのか? - 国家鮟鱇
ノブレス・オブリージュ - 国家鮟鱇