日本の「古層」

日本に伝統と呼べるものがあるとすれば、それは明治憲法や新憲法のような輸入品ではなく、丸山眞男が「古層」と呼んだ古代以来の伝統ではないか。それは近代化によって消えたようにみえるが、驚くほど強く現代社会に根を張っている。この伝統を自覚し、それを保守するのか変えるのかを考えることが、本当の日本人の問題だと思う。

池田信夫 blog : 保守すべき「伝統」とは何か


俺は丸山眞男についての知識がほぼゼロに近いので、「伝統」とは「古層」のことだと言われても余計わからなくなるだけである。まあ「丸山眞男 古層」で検索するとかなりの記事が見つかるのでそれなりに有名で、俺が無知なだけなんだろう。


ところでもうすぐクリスマスだが、もちろん外来の祭りである。それを日本人は受け入れた。しかし同じキリスト教の祭りでもハロウィンは近年(商業的に)流行らせようと躍起になっている傾向がありありだが、なかなか日本に定着しそうにない。それはなぜかというと、俺の勘違いでなければ、その「古層」というものが関係しているのだろうと思われる。


さて、池田氏は前に

一夫一婦制も夫婦同姓も、明治時代に西洋から輸入された制度である。それまでは武士以外は姓も名乗れなかったし、武士もバラバラだった。

要するに、誰の姓を名乗るかなんて「家族の一体性」とも「婚姻制度の安定性」とも関係なく、それぞれの文化圏でも時代でも違うのだ。それを「夫婦同姓=家制度」と思い込むのは、明治期の山の手の(西洋から輸入した)文化を「日本の伝統」と取り違える、自称保守によくある錯覚だ。

池田信夫 blog : 「なんちゃって保守」の笑劇
と主張した。


※ そもそも池田氏歴史認識は正確ではない。本来の「夫婦別姓」の「姓」とは源平藤橘などのことだ。維新政府は当初「夫婦別氏」を義務付けようとしたが民間からは反発があった。その後「夫婦同氏」となった。これを一般に「夫婦同姓」という。


とにかく「一夫一婦制も夫婦同姓も」それほど大きな抵抗もなく日本人に受け入れられた。それを「日本の伝統」と認識する人も多い。つまり事実かどうかはともかく「日本の伝統」と認識されるほどに定着したということだ。それはなぜかということを考えるときに、まさにこの日本の「古層」というものが重要になってくるのではないか?


単に外来のものだから伝統ではないなどといって排撃するのであれば、「保守」は外来のもの一切(洋服も洋食も漢字も仏教も)否定しなくてはならないではないか。