フランス人

今回の事件について何か書こうとすると、ついつい「フランス人は」とか「フランス国民は」とか書きたくなる。しかし今回のテロ実行犯もフランス人であり、彼らが「イスラム教の預言者を風刺する自由」に同意できなかったのはほぼ間違いない。


もちろんある集団が持つ特徴を表現するときに、そこに例外があることはごく普通のことであって、100%そうでなければ不適切だなんてことを言っていたら、記述はおそろしく煩雑なものになってしまう。


とはいえ、今回のケースのような場合は、この「表現の自由」に同意できない人が、ムスリムに多いだろうということが予想され、つまりフランス人という大集団の中に均一に例外がいるということではないだろう。じゃあ「非ムスリムのフランス人は」と表現すれば適切かといえば、もちろんムスリムも多様だし、非ムスリムも多様だから到底適切だとは思えない。


結構難しい。


ただ、思うにこの「(フランス流の)表現の自由」を守るのが、「あるべきフランス人」の姿であるという理念は存在しているように思われる。


法律上のフランス人の中に、その「あるべきフランス人になりたい、なれる」と考える人と、「なることができない」と考える人がいるんじゃないかと思う。そして後者は社会から「あるべきフランス人」になるよう求められているのにそれができないことに対して劣等感・疎外感を持つことになるという、そんな感じじゃなかろうかと思う。


自信はない。