北条氏康書状について(その19)

俺が北条氏康文書を解読する上で重要だと思うこと

(1)「三州」「駿州」とは地域を指すのではなく、「三州」とは松平広忠、「駿州」とは今川義元を指す。より正確に言えば松平広忠をトッブに据えた組織・集団を指すのではないかと考えられ「家」と呼べるのではないかと思われるが、「広忠政府」「義元政府」と表現するのが適切かもしれない。「彼国」「其国」も同じだろう。ただし「三州」「駿州」と使い分けている何らかの理由があるかもしれない。「自其国(其の国より)という表現を見れば「駿州にある義元政府より」というニュアンスが感じられ、若干地域的な意味合いが強いのかもしれない。


「清須御使」の「清須」も地域を指すというよりも、清須の守護斯波氏を指しているものと思われるが、清須城は清洲織田氏(織田大和守家)の居城だからややこしい。「清須」が清洲織田氏を指すとも考えられなくもないけれど、北条氏康と対等な関係にあるのはたぶん斯波氏であろう。斯波氏を頂点として清洲織田氏が補佐している体制が「清須」ということではないだろうか?これも「清須政府」と呼ぶのが適切ではないかと思われる。岩倉織田氏(伊勢守家)も斯波氏を主に頂いているけれど「清須」には入らないと思う。


氏康文書で他に地名が記されているのは「安城」「岡崎」「今橋」である。「安城」は「安城者要害」と記されているから地名になる。「安城」が「安城城」のことか「安城」という地域のことなのかは決めかねる。ただし「岡崎」は「岡崎之城」と書かれているので地域を意味する可能性が高いのではないか?


「岡崎」は「岡崎之城」と書かれ、岡崎は地域を指すものと思われる。ただし「岡崎」を「松平広忠」のこととしても「岡崎之城」で意味が通じる。


そして「今橋」は「安城者要害」「岡崎之城」と違い「今橋」とのみ単独で記される


これを俺の見た限りでは全員が「今橋城」もしくは「今橋」という地域のことだと解釈している。


しかし、こうして見ていけば「今橋」は地域のことではなくて「清須」と同じ使い方ではないかと考えられる。


すなわち「今橋」とは戸田宣成を頂点とする組織・集団(今橋政府)のことではないだろうか?


(つづく)