二階から目薬の謎(その2)

二階から目薬の謎 - 国家鮟鱇

Twitterからトラックバック(?)をいただいたので再度考えてみた。念の為にいっておくけどこれはあくまで俺の推理であって、簡単に信じないように。


このことわざは、1700年刊行の「風流御前義経記」とある「二階から目薬さす仕掛け、さりとは急な恋ぞかし」が由来だという。それが事実かわからないけど、とりあえずそれを前提にしてみる。


「二階から目薬さす仕掛け、さりとは急な恋ぞかし」とは「二階から目薬をさそうとするとは、なんて急な恋なんでしょう」という意味だと思われ。「風流御前義経記」を読んでないからわからないけれど、おそらくは二階にいるのが女性で一階(または道路)にいるのが男性だと思われ(逆でも別にいいけどそうしておく)。


「急な恋」といっているので二人は恋人同士ではなくて、二階にいる女性が一目惚れしたんだと思われ。で、女性はなぜ男性に目薬をさしたいのかといえば、目薬をさすことが目的ではなくて、恋仲になりたいのだと思われ。


では、なぜ目薬をさすと恋仲になるのかといえば、目薬をさすには二階から無理なのは当然だけど、一階からでも離れていては無理。(軟膏だろうが水溶液だろうが)めちゃくちゃ接近しなければならない。異性でそんなことができるのは恋人だけだからである(家族とかは別にして)。


だが現実には彼女は彼の恋人ではない。だから目薬をさせない。


で、「恋人なら目薬をさせる」を逆転させれば「目薬をさせたら恋人だ」となる(いや本当は論理的に間違っていて、万一目薬をさせたところで恋人になるわけじゃないんだけれど)。


※ なおこの場合、目的は「恋仲になること」であって「目薬をさすこと(に成功すること)」ではないことに留意しなければならない。


※ もちろん本当に目薬をさそうとしたのではなくて、まだ顔見知り程度(または一目惚れ)なのに、今すぐにでも恋人になりたい様子をたとえたのだろう。


そのように考えれば、「二階から目薬をさすのは無理だということはわかっている。それでもごく僅かの可能性にかけてでも、今すぐに恋人になりたい」という意味ではないかと思われ。


だとすれば「二階から目薬」の本来の意味は、「早急にどうしても叶えたい目的のために無駄だとわかりつつ試みること」ということになりはしないだろうか?


なお、
ことわざ
を見ると

江戸後期に大田全斎(一七五九−一八二九)が、このことわざを「迂遠ノ喩ナリ」としている

とある。現在の辞書にも

2階にいて、階下の人に目薬を差すこと。もどかしいこと、また遠回しすぎて効果がないことのたとえ。

二階から目薬の意味 - 国語辞書 - goo辞書
とあり、「遠回しすぎて効果がないこと」とは「迂遠」ということだろう。


しかし、「二階から目薬さす仕掛け、さりとは急な恋ぞかし」は迂遠ではなくて、非常にせっかちな様(過程をすっとばして結果を得ようとするさま)を表しているように思われ、途中で意味が変化したように思われる。



以上は冒頭に書いたように、あくまで俺の推理なんで簡単に信じてはいけない。そもそも「風流御前義経記」はそんな話では全くない可能性もあり、「風流御前義経記」にどういう文脈で「二階から目薬」が使われているのか調べないであれこれ考えるのがまさに二階から目薬なんであって、でも俺はくずし字を読む能力が無いのでしょうがない。誰かやってください。