矢部健太郎氏が主張する豊臣秀次切腹事件の新説へのド素人の疑問

「豊臣秀次切腹事件」には大きなウソがある!東洋経済オンライン)


俺は秀次切腹事件について詳しくない。ツイッター上などでは矢部健太郎氏の新説について史料を駆使した高度な批判も見られるけれども、俺は無知なんでついていけない。ただし、俺なりに素朴な疑問はある。その疑問は秀次切腹事件について詳しくないだけでなく、文法その他の専門的なことにも詳しくないことからくるのかもしれない。従って的外れのものかもしれないけれども気になるので書いておく。


(その1)
『御湯殿上日記』に

くわんはくとのきのふ十五日のよつ時に御はらきらせられ候よし申、むしちゆへ、かくの事候のよし申なり、

と記述されているという。矢部氏によると

この点について、「せ/られ」を〈使役〉で読むことは文法的に無理があるにもかかわらず、これも通説による思い込みで「切腹させられた」とのみ解釈されてきた。しかし、当時の外国人が日本語を習得する際に使用した文法テキストによると、助動詞「せられ」には〈尊敬〉の意味もあったことが記されている。

のだという。すなわち「御はらきらせられ」とは秀吉に命令されたのではなく、秀次の意志で切腹したのだとする。矢野氏が現代語訳を引用すれば、これは

関白秀次殿は昨日15日の四つ時に御腹をお切りになった

ということになる。確かに「せられ」は尊敬の意味で解釈できると思う。こういう使い方は当時だけでなく現在でも使われることがあるだろう。この解釈の方が正しいように俺には思える。


ただし、そもそも切腹とは自分で腹を切ることだ。命令であろうが、自分の意志であろうが、腹を切るのは秀次である。したがって「関白秀次殿は昨日15日の四つ時に御腹をお切りになった」と解釈しても、命令によるものか秀次の意志によるものか判断することはできないのではないだろうか?


で、そもそも矢部氏は

通説による思い込みで「切腹させられた」とのみ解釈されてきた

と言うけれども本当だろうか?俺はこの事件に関する研究について無知だからわからないんだけれども、「御腹をお切りになった」と解釈しても「(命令によって)切腹させられた」ということと必ずしも矛盾しないと俺には思えるから、従来の解釈をしてきた人も、矢野氏と同じくここは尊敬の意味で「せられ」と書いてあると解釈した上で「切腹させられた」としている人もいるのではないだろうか?


(その2)

くわんはくとのきのふ十五日のよつ時に御はらきらせられ候よし申、むしちゆへ、かくの事候のよし申なり、

従来、この記述は「秀次は昨日15日の四つ時に、(本来なら打首獄門となるところ、)無実なので切腹させられた」と解釈されてきた。《名誉ある死》といったところだろうか。しかし、のちに秀次の首がさらされたり、一族が大量処刑されていることを考えると、《名誉ある死》とはほど遠い。

従来はそう解釈されてきたと矢野氏はいう。俺は今までの研究について詳しくないので全く意味不明である。「無実なので切腹させられた」ってどういうこと?あれこれ考えてみたんだが、これは「秀吉は秀次が無実なのは知っていたが秀次に死んでもらう必要があったので罪を着せた。その際、打首獄門にするのは(無実だと知っている)秀吉はさすがに良心の呵責に耐えかね、切腹させた」というような意味だろうか?そういう説は見たことがあるように思う。ただそこに矢野氏が「名誉ある死」などと書くから理解が難しくなる。なおこの「従来の解釈」には問題があると俺も思うけれども、それについて書くと話が逸れてしまうので省く。



(その3)
くどいようだが俺はド素人なので『御湯殿上日記』に

むしちゆへ、かくの事候、

と記してあることをもって、

無実なので切腹させられた

という(従来の)解釈があるという意味がしばらく理解できなかった。何が理解できなかったかというと「むしち」の意味がわからなかったからである。これは一般向けに書かれた記事であると思われるのに、「むしち」とは「無実」という意味だという説明がなされていないのは、文脈の流れからいえばそういうことなんだろうと何となくわかるとはいえ不親切である。俺は「むしち」とは本当は「無実」という意味ではなく別の意味の可能性があるのではないかとしばらく考えてしまった。「じち 実」と検索して「実」は「じち」と読むことが理解できた。俺が無知なのは俺が悪いのだが…
じち【実】の意味 - goo国語辞書


で、ついでに「無実」の意味も検索してみた

[名・形動]《古くは「むしつ」》

1 事実がないこと。実質がないこと。「有名―」

2 罪を犯していないのに、罪があるとされること。冤罪 (えんざい) 。「―の罪」「―を訴える」

むじつ【無実】の意味 - goo国語辞書

現代において「無実」といえば2の意味で最も使われているだろう。1の意味は「有名無実」という熟語で使われる以外にはあまりみたことがない。ところが「無実」にはさらに別の意味もあった。

3 誠実さがないこと。また、そのさま。

この3の意味には注目せざるをえない。なぜなら「むしちゆへ、かくの事候」を「秀次に誠実さがないのでこのようになった(切腹を命じられた)」と解釈することが可能なように思うからである。


そういう説はあるのだろうか?


調べてみたいのは山々だが、今はその余裕がない。


※ なお『御湯殿上日記』にそう書いてあるからといって、真相がそれだとは限らないことは言うまでもない。