三方が原合戦で惨敗した家康は城内に入っても馬に乗ったままだった。大久保忠世が馬から降りるようにうながしたが。今度は立ったままなので歩くように促された。そこで忠世が機転を利かせて「見られませ。馬の鞍つぼにせつな糞をもらしてござる。ああ臭や!」と言った。それを聞いた家康は「なに、予がせつな糞を…」と驚いて確かめて「たわけめ!腰の焼味噌じゃ」と忠世の頬を叩いた。そして家康は活気を取り戻したという話。
つまり忠世が茫然自失の家康の正気を取り戻すために、馬の鞍つぼに焼味噌がこぼれているのを見つけて「せつな糞」を漏らしたと難癖をつけることで家康を怒らせたということ。この話では家康は本当に漏らしたのではない。
山岡荘八の原作小説においては、意気消沈した家康を活気づけるための作左衛門の「機智」であったとされており、それが本当は味噌だったかウンコだったかははっきりしない。文脈からすれば前者とも取れるが、一般的にはもっぱら後者として解釈されている。
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という意見もあるけれど、文脈からすれば前者で疑いない。本当に漏らしていたら忠世は茫然自失の家康をさらに追い詰めようとしていたことになってしまうではないか。しかも家康はそのまま湯漬けを食べて(着替えもしないで)寝てしまったとあるから、さすがにウンコつけたままで寝るはないだろう。なお「作左衛門」とあるのは本多重次のことでNHKの大河ドラマ『徳川家康』(1983年)では、重次がそう言ったことになってるようだ。
さて、ここで『三河後風土記』→『徳川十五代記. 上の巻』→『徳川家康(山岡荘八)』の比較。
- 合戦 「一言坂の戦い」→「味方ヶ原の戦い」→「三方ヶ原の戦い」
- 人物 「大久保忠佐」→「大久保忠佐」→「大久保忠世」
- 便 「糞」→「小便」→「糞」
- 実否 「漏らしてない」→「漏らした」→「漏らしてない」
- 理由 「戦をせずに帰ってきたこと及びそれを進言した本多忠勝が褒められたことへの嫉妬」→「本多忠勝だけが戦働きしたのではないのに忠勝だけが褒められたことへの不満」→「茫然自失の家康の活気を取り戻すため」
次に『三河後風土記』にはないが、『徳川十五代記. 上の巻』→『徳川家康(山岡荘八)』にはある要素
- 「小便ではなく汗だと馬丁が言った」→「腰の焼味噌だと家康が言った」
- 「人間のせつなっ小便」→「せつな糞」
これを見れば、山岡荘八が『三河後風土記』ではなく『徳川十五代記. 上の巻』またはそれに類似した話から影響を受けていることは明らか。ただし「小便」だったものが「糞」に戻っている。また「本当に小便を漏らした」も「本当に漏らしてはいない」に戻っていることから『三河後風土記』も参照していた、あるいは『徳川十五代記. 上の巻』と似た別の話が存在する可能性がある。
※ なお味噌つながりで『徳川十五代記. 上の巻』には本多重次が、家康が命じて作らせた大釜が城内に持ち込まれようとしているのを見て、その大釜を叩き壊してしまった。家康が怒って重次になぜ釜を壊したのか問い質したら重次が「殿は何のために釜が必要なのか?城主を止めて味噌屋をはじめるのではありますまい」と言った云々といった話が載っている。「本多作左衛門 大釜」で検索すると大意は似てるけど少し違うバージョンあり。出典はなんだろう?『窓のすさみ』という史料に載ってるらしいけど今川義元の作った釜ということになってるが、下のだと武田のになってる。他のバージョンもあるんだろうか。
⇒本多作左衛門重次と大釜・いい話 - 戦国ちょっといい話・悪い話まとめ
⇒本多作左衛門と「人煎り釜」・いい話 - 戦国ちょっといい話・悪い話まとめ