3日前に話題にした片瀬久美子氏が大炎上
「疑われた側が潔白を証明すべし」という理屈は絶対に認めるべきではないという論調もありますが、政府や行政機関にはアカウンタビリティー(国民に対する説明責任)が当然求められます。論のすり替えでしょうね。
— 片瀬久美子 (@kumikokatase) 2017年7月27日
社会に影響力を及ぼす組織で権限を行使する者に対しては、一般人とは異なりますよ。
そりゃ炎上しますわ。言いたい(であろう)ことはわからないでもない。でも言い方が絶望的に間違ってる。
片瀬氏が言いたいのは、
政府や行政機関にはアカウンタビリティー(国民に対する説明責任)が当然求められます。
でしょう。でも、その前に
「疑われた側が潔白を証明すべし」という理屈は絶対に認めるべきではないという論調もありますが、
とある。これはいわゆる「悪魔の証明」について言ってるわけだが、「論調もありますが」と書けば「政府や行政機関は(悪魔の証明)の例外だ」という話に受け取られることになるのは当然だ。後に「一般人とは異なりますよ」とも書いてるし。
しかし、それは明らかにおかしい。なぜなら、潔白を証明するのは、困難あるいは不可能だからだ。つまり「そうあるべし」という話ではなく「難しい・できない」という話なのだ。自身が
自分がこうあって欲しいという「願望」によって「事実」を歪めないようにするのが科学の手法。
https://twitter.com/kumikokatase/status/889407535504949248
と言ってるくせに、これでは「願望」によって困難だという事実が変化するかのようだ。
片瀬氏がどこを間違ったのかといえば、「潔白を証明する」と「説明責任がある」を同列にしたことである。
(あらゆる疑惑に対処してたらきりがないが)それなりの根拠のある疑惑、あるいは多数の国民が関心を持つ疑惑に対して政府や行政機関は説明をすべきであろう。あるいは説明できないのならば、説明できない理由を説明すべきである。また説明を求める権利がある。そこに異論はない。
だが、説明したからといって、それが「潔白の証明」になるかといえば、そうなるとは限らない。
だから、片瀬氏は「悪魔の証明は求めないが、説明はすべきである」といった感じのことを書けば良かったのだ。片瀬氏のツイートをそういう意味に受け取ることができるかといえば無理である。そういことを言いたかったのではないかと推測するしかないのである。片瀬氏に好意的な人、あるいは安倍批判なら何でもOKな人は「忖度」をした解釈をするかもしれないが、それ以外の人にはそうは読み取れないのである。
片瀬氏は科学を一般人にもわかりやすいように説明するサイエンスライターを生業としている。それにもかかわらず、一般人にもわかりやすい言葉に翻訳する能力に問題があるのではないかと思う(それ以前にご自身の理解力にも問題があるようにも思えるが)。