報恩寺のマルコ・ポーロ像(その4)

日本民族文化史考』(白柳秀湖 1947)より

今、著者の手許にはマルコ・ポーロの像と称へられるものの寫眞が三種まで蒐集されて居る。その一つはマルコの生れたイタリアのヴェニス市にあつて、最も広く一般に知られもし、由緒正しきものと信ぜられもして居る。モザイツク(象眼)製のものだ。第二は広東の羅漢寺に五百羅漢の像ととも安置せられて居るといふ外套を被て、鍔広の帽子をかぶつて居るマルコ・ポーロの木像だ。第三は岩手県盛岡市の郊外、愛宕山の麓、土地の人々から三つ割と呼ばれるところにある曹洞宗の鳩峰山・報恩寺に安置せられて居る五百羅漢像の中に交る、詰襟洋服のマルコ・ポーロだ。この像には御丁寧にもマルコの仕へた忽必烈の像がその隣席に据へられて居る。忽必烈の像は小手をかざして、奥州を船出しゆくマルコの行方を見送るかのやうな姿勢をとつて居る。


ヴェニス市」にあるモザイク画とはこれだろうか?ただしこれは「ジェノバ」にある。なおマルコポーロの生誕地は不明。1867年に作られたみたいだから「由緒正しきもの」と言えるとも思えない。
Marco Polo Mosaic from Palazzo Tursi


まあ、そんなことはどうでもいい。問題はその次だ。「広東の羅漢寺に五百羅漢の像ととも安置せられて居る」というマルコ・ポーロの木像だ。


というわけで早速調べてみる。だが「羅漢寺」ではヒットしない。あれこれキーワードを入れて検索したところ華林寺(华林寺)という寺であることが判明。
华林寺 (广州) - 维基百科,自由的百科全书


例のごとくグーグル翻訳に頼るしかないが、歴史は古く創建は西暦526年。ダルマ大師ゆかりの寺のようだ。しかしながらその後は荒廃。再建されたのは清朝の1655年。五百羅漢は1851年。19世紀のこと。らしい。


で、問題のマルコ・ポーロ像の画像はこのページが一番豊富。
广州华林寺五百罗汉堂的马可·波罗像 – 旧影志


まさに「外套を被て、鍔広の帽子をかぶつて居るマルコ・ポーロの木像」であり、白柳秀湖の収集した写真というのはこの像の写真であろう。これが本当にマルコ・ポーロの像なのかといえば、はっきりしたことはわからないが、19世紀に作られたということを考えれば、そうである可能性が高いように思われる。

なお、ページの一番下にある、金メッキの像の写真。華林寺の像とそっくりだが、これはベネチアのコッレール美術館にあるもの。もちろんマルコ・ポーロの像として展示されている。美術館の説明によると、この像は1800-1899年に中国で制作されたもの(とこのページに書いてある)。また、同じ製作者によって作られたものかもしれないともある。


あと、上のページの写真が白黒写真ばっかりなのは、五百羅漢像が文化大革命で破壊されてしまったから。


とにかく、これは報恩寺よりも新しいので、報恩寺に影響を与えたということはありえない。しかしながら五百羅漢の中にマルコ・ポーロ(とされている)像があるという共通点は偶然とは言い切れないかもしれない。


(つづく)


※ 追記8/22
よく見りゃウィキペディアに画像があったので貼っておく。正式名称は「善注尊者」
Wa Lam Temple Bodhidharma


そんで調べてみたら報恩寺の「マルコ・ポーロ」も「善注尊者」