2018-04-01から1ヶ月間の記事一覧

付喪神について(その13)

まだまだ論じたいことはあるけれど、もう限界。一番気になるのは、「精霊」「心」「情」といった言葉が何を意味するのかということ。 「心」については 我に若し天地陰陽の工にあはば、必ず無心を変じて精霊を得べし。 或時、妖物の中に申しけるは、「夫れ我…

付喪神について(その12)

『付喪神記』は内容に矛盾があるように見える。矛盾してると断言できれば話は割と簡単だけれど、もしかしたら矛盾ではないかもしれないと考えて理解しようとすると、何通りもの可能性が出てきて深みにはまってしまうのであった。 陰陽雑記に云ふ。器物百年を…

付喪神について(その11)

こゝに康保の頃にや、件の煤払とて、洛中洛外の在家より取出して、捨てたる古具足ども、一所に寄り合ひて評定しけるは、「さても我等、多年家々の家具となりて、奉公の忠節を尽したるに、させる恩賞こそなからめ、剰へ路頭に捨て置きて、牛馬の蹄にかゝる事…

付喪神について(その10)

付喪神についてはまだまだ論じたいことがある。きりがない。 『付喪神記』より。 既に其の夜にもなりしかば、古文先生の教への如く、各其の身を虚無にして、造化神の懐に入る。彼等すでに百年を経たる功あり、造主に又変化の徳を備ふ。かれこれ契合して忽ち…

付喪神について(その9)

茶器の「九十九髪茄子」についてはもう少し調べてから書こうと思ってたんだけど、さっき別件調べてたら面白い話みつけたのでそれについて 加賀国金沢藩主前田利常の言行録『微妙公御夜話』という史料がある。そこに 一、御家のつくも髪の茶入、京都より売り…

付喪神について(その8)

付喪神といえば器物の妖怪だということで、日本・中国あるいは朝鮮の器物妖怪との比較研究がもっぱらなされているの。しかしながら年を経ると妖怪化するのは何も器物に限ったことではない。そのもっとも代表的なものは猫又であろう。ところがネット検索して…