国家昏乱、有貞臣

「国家昏乱して貞臣有り」
病気が無ければ薬はいらない。泥棒がいなければ鍵はいらない。
我々は「病気」や「泥棒」というものがあることを知っている。だから「薬」や「鍵」を発明した。
「病気」や「泥棒」が存在しない世の中(知らない世の中)では、「薬」や「鍵」を発明することはないだろう。というか、「薬」や「鍵」の概念を理解することができないだろう。
アダムとイヴは知恵の実を食べて腰を隠すようになった。それまで恥ずかしくなかったということではない。恥という概念が無かったのだ。


世界の初めは、理想的な世界だった。それがだんだん乱れてきて、最終的には破滅する。という世界観は広く存在する。
太古の世界には「貞臣」なんて概念は無かった。なぜなら、そんなこと考える必要がなかったからである。
そういうことを念頭に入れて考えるべきじゃあるまいか?よくわからんけど。


で、最早、太古の世界に戻ることは不可能だけど、それを理想の世界として政治を行なうべきである。
貞臣が現われるってことは、世の中が乱れているってことなんだよ。貞臣がいる世の中は、理想的な世の中というわけじゃないんだよってことでしょう。その貞臣が「偽物野郎」だって意味ではないような気がする。
「良い薬」があるのはいいことだけど、病気があるからこそ「良い薬」なんであって、本当は病気がなくなったほうがいいよね。
ってことじゃなかろうか(と俺は思う。自信ないけど…)


意味不明なエントリーでスマソ。