動物の権利と肉食

この前の「猫殺し」の件で気にしているからかもしれないが、ここのところ「動物の権利」に関する記事が目に付く。


一つは、2/17日付ロイターの記事
イルカに「人権」を、ルーマニアで議員が法案提出 | 世界のこぼれ話 | Reuters

イルカだから「人権」ではなく「イルカ権」ではないのかというようなツッコミがあるが、それはアニマルライツへの無理解からくるものだ。「人権」の概念が他の動物にも適用されるべきだという話なので「人権」と「イルカ権」という別個の権利ではだめなのだ。


ただし、このケースでは動物全般ではなくイルカに限定されている。イルカは高度に発達した知能を持っているから人間と同等というわけだ。


もう一つは日本版で2/18日(原文では1/23日)付の記事
なぜイルカだけが特別なのか? 日本のイルカ漁をイタリア版「WIRED」が擁護する « WIRED.jp


これは一見すると日本を擁護している主張のようにみえる。日本側の反論である「牛や豚を食べるのとイルカを食べるのとに違いがあるのか」に同意しているからだ。


俺も最初はそう思った。だが、

イルカ漁で用いられている畜殺技術、つまり鉄の鉤による脊髄の切断は、動物の苦痛を避け最小化しているといわれる。こうしたことは、ニワトリやウシの命がまったく尊重されていない、西洋の畜産業界において見ることはできない。わたしたち西洋人は、わたしたちが日々行っている虐殺を棚に上げて、意見を言うことができるのだろうか? わたしはそうは思わない。理想的な世界においては、誰も肉を食べるべきではなく、自由に生きる権利は動物のみならず植物にも拡大されなければならないにしてもだ。

という部分を読んでそうではないのではないかと感じた。


「理想的な世界においては、誰も肉を食べるべきではなく、自由に生きる権利は動物のみならず植物にも拡大されなければならないにしてもだ」であり、つまり「自由に生きる権利は動物のみならず植物にも拡大されなければならない」などという主張は受け入れられないといっているのではない。その反対だ。


この記事の筆者は「動物の権利」を認める側から、イルカだけに「人権」を認めるという考えを批判している可能性が大だ。その上でウシやブタを食べる「西洋」に、イルカ漁を批判する資格があるのかと批判しているのである。


これは日本に味方してくれたと安易に喜ぶ話ではないだろう。なぜなら日本人もイルカ肉とは比較にならないほどウシやブタを食べているからだ。