日蓮の「太陽を射る話」考

「報恩抄」に「太陽を射る話」が出てくる。


(意訳)
慈覚大師(円仁)は太陽を射る夢を見たという。弘法大師弘仁9年の春に大厄の祈祷をしたら夜中に太陽が出現したという。しかし夜中に太陽が出現するなど昔からあったことがない。慈覚大師は夢で太陽を射たというが、内典・外典の中にそれを吉夢という事はありやなしか。


修羅は帝釈を怨み日天を射たが、その矢が返ってきて自分の目に当たった。殷の紂王は日天を的に射て身を亡ぼした。


神武天皇のときトミナガ(ナガスネヒコ)とイツセノミコトの合戦があったとき、ミコトの手に矢が刺さった。ミコトは我は日天の子孫であるのに、太陽に向かって弓をひいたために日天からの責めを被ったのだと言った。


阿闍世王(アジャータシャトル)は仏教に帰依して内裏に帰り寝ていたが驚いて諸臣に言った「太陽が天より地に落ちる夢を見た」と。諸臣は「釈迦が入滅したのだろうか」云々。須跋陀羅(スバッダ)の夢もかくのごとし。


我が国では殊に忌むべき夢である。神をアマテラスという。国を日本という。教主釈尊を「日種」という。摩耶夫人が日を孕むと夢に見てもうけた太子である。


(以下、慈覚大師と弘法大師の批判が続く。ただし弘法大師批判というより、この逸話が載っている『般若心経秘鍵』の批判っぽい)



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