千葉で思い出したけれど、戦国時代末期の成田に織田左京大夫政治という武将がいたそうだ。
⇒菊水山城(滑川城・成田市滑川字城台)
⇒小菅城(成田市小菅字根古屋)
⇒東和泉城(成田市東和泉字城山)
⇒龍台城・小倉屋敷(成田市龍台)
(以上全て「余湖くんのお城のページ」より)
⇒助崎城 埋もれた古城
⇒本佐倉城(酒々井町本佐倉字城の内)
⇒栗林義長物語4
地理的に考えて「オダ」は「オダ」(あるいは「オタ」)でも、常陸の小田氏ではないかと思うのだけれど、織田信長の従兄弟だとする説があるそうだ。
それに、千葉県には武田氏もいるし、土岐氏もいるんだから、織田氏がいたとしても不自然なことではないのかもしれないとも思ったりするのであった。
ただし、気になるのは菊水山城(滑川城)の城主であったとされる織田政治と読みが同じ小田将治という人物がいること。時代は全く違うが彼もまた滑河の城主であった。
成田市の北東にある下総町は古くは利根川の舟運で栄えた地。その滑河にあるのが龍正院である。現存の永正十三年(一五一六)鋳造の鰐口に「下総州行河山勝福寺」とあるので、そのようにいわれていた時もあったようだ。承和五年(八三八)滑河の城主小田宰相将治の発願により、慈覚大師が開基となっている。
織田政治は小田将治をモデルにした架空人物ではないかという気もする。しかし、他にも気になるところがあるので、前々から注目しているところ(注目してはいるけれど調べずに今に至る)。