浅羽通明『右翼と左翼』

トンデモモードが続くと書いたけど、それだけじゃ俺も飽きてしまうので、たまにはウヨサヨ関係も。


浅羽通明の『右翼と左翼』は発売日に買ったのだけど、未だに読み終えていない。まだ途中だけど、中々充実していると思う。プロから見たら物足りないかもしれないけど、俺みたいな素人からすれば貴重な情報が多い。


で、特に注目したのは、以下の部分。

「自由」「平等」の理想を掲げる革命に対して、旧体制を「保守」する「反動」的立場を、「右」「右翼」と呼ぶ。それならば、明治政府を否定して徳川幕府を復興しようとする立場が存在しなかった以上、近代日本に「右翼」はいなかったのでしょうか。
確かに、その意味での「右翼」は認められないというべきでしょう。(P140)


俺はこの点に、かなり関心があって、前にこんな記事も書いた。
右でも左でもない


この点が、日本の「右翼と左翼」問題のややこしさだと思う。左翼については別にややこしくない。問題は「右翼」。右翼とは言っても、日本の右翼は革命勢力の中から誕生したものであって江戸幕府とは断絶している。前時代に否定的な立場からスタートした。確かに「右翼的」な性質を保有しているけど、同時に「左翼的」な性質も有している。


日本の右翼には「王党派、日本ならば幕府復興派」的要素が抜けている。もちろん、欧米にあっても、右と左は時代によって移り変わり、かつて「左」であったものが、さらに左のものが登場することによって、「右」になっていくことは、この本にも書いてある。ただ、欧米では、時代によって左にシフトしていっても、その要素が少しは残っているのではないかと思う。
(聞くところによると呉智英氏がそういう立場だそうだけど、俺はよく知らない)


で、「王党派」とは何かということなんだけど、ここが勉強不足なんで、もっと勉強してから、またいずれ書くつもり。多分「反中央集権」ということが重要じゃなかろうか。「反中央集権」というと、左のイメージみたいだけど、本来、左の方が中央集権的なものだと思う。外国のことはよくわからないけど、日本では中央集権と言えば右だということになっている感じ。それは、江戸時代の幕藩体制を否定して、中央集権国家を作り上げた勢力が、より左の勢力から見て「右」であるということでしょう。このあたりが、ややこしさの原因でしょうね。