個人的には、安倍政権時代の最大の特徴は「保守」が分裂したことだと考えている。小泉政権時代に既にその徴候はあったけど、この時点では、保守内部での対立は、左翼を利するだけだというような意見もかなり見られ、なるべく穏便に済まそうとするところもあった。今はそういう意見はあまり見られない。それ自体は大いに結構なことだと思う。
ただし、まだ物足りないと感じるのは、いまだに「保守」と呼ばれている思想を一まとめに論じることが可能であるかのように思われているのではないかと思われるところ。実際のところは「保守」と言っても中身は全く異なる。強いて共通点をあげれば「反左翼」ということになるだろうけれど、その肝心の「左翼」とは何かという点でも差が大きい。アメリカは「左翼国家」だと言う人とか、「大きな国家」を目指しているとしか思えない人とか、千差万別。
全く違った思想を持っているものに対して、本当の「保守」とはこういうものである的な論法でもって、自分の思想を押し付けようとするのは、相手に転向を迫っているに等しい。別に転向を勧めるのが悪いことだとも思わないが、問題は、「相手も自分も同じ保守である」という信念があると、自分のしていることが、転向を勧めているのではなくて、「相手の間違いを指摘してあげているのだ」「相手も間違いに気付けば考えを改めるだろう」という考えに陥りやすいだろうと思うこと。そして、それでも相手が考えを改めなければ、「人が親切に教えてあげているのに何だこいつは」みたいなことになって、「赤の他人」に対するよりも激しい憎悪の感情が芽生えないとも限らない。
それよりも、「保守」とはいっても、全く違う思想なんだと思えば、相手に距離を置くことができ、過度に感情的にならず、「自分とは違う思想」として批判することが可能だし、違う思想であっても目標が共通することもあるだろうから、そのときは協力すればよい。そのためには、一般的に「保守」と呼ばれている思想には、どんなものがあるのかを、まずは、「優劣の判断抜き」で分類してみることが必要だと俺は思いますね。