マッチ売りの少女の謎 (その2)

ただ、どうしても気になるところがある。一つは少女の持っていたマッチ。


「少女は急いで、一たばのマッチをありったけ壁にこすりつけました。」
「その子は売り物のマッチをたくさん持ち、体を硬直させてそこに座っておりました。 マッチのうちの一たばは燃えつきていました。」
以上、結城浩訳より。


「少女はマッチの束を全部だして、残らずマッチに火をつけました。」
「少女は座ったまま、死んでかたくなっていて、その手の中に、マッチのもえかすの束がにぎりしめられていました。」
以上、大久保ゆう訳より。


結城訳では、少女が燃やしたのは「一束のマッチ」。大久保訳では「マッチの束を全部」。「マッチの束を全部」というと、持っているマッチ全部って意味のように思えるんだけど、そうだとすると、両者の訳は異なっていることになる。英語のテキスト見てみたんだけど、「the whole bundle of matches」って書いてあった。ってどう訳すんだ?英語はまるっきし駄目だ。しかし、翌朝、少女が発見されたとき、英文でも一束燃やされていたとはっきり書いてあるから、やっぱり「一束のマッチ」なんだろうか?大久保訳はこのへんあいまいにしてありますよね。


そして、もう一つ気になる点。

「いま、誰かが亡くなったんだわ!」と少女は言いました。 というのは、おばあさん――少女を愛したことのあるたった一人の人、いまはもう亡きおばあさん――がこんなことを言ったからです。 星が一つ、流れ落ちるとき、魂が一つ、神さまのところへと引き上げられるのよ、と。

結城浩訳)

「だれかが死ぬんだ……」と、少女は思いました。なぜなら、おばあさんが流れ星を見るといつもこう言ったからです。人が死ぬと、流れ星が落ちて命が神さまのところへ行く、と言っていました。

(大久保ゆう訳)


結城訳では、「このとき」に誰かが死んだことになる。大久保訳では「これから」誰かが死ぬことになる。これも大きな違い。単純に考えると、結城訳では、この時に死んだ人間がいるとしても、それが誰かわからない。どこかの誰かが死んだのだろうと受け取れる。大久保訳だと、これから少女が死ぬことを暗示している可能性がある。あるいは、物語世界においても、流れ星が落ちることと、人が死ぬことに因果関係はなく、ただの「迷信」であると考えることもできるけれど…


で、これがやっかいなんだけど、結城訳の底本は「THE LITTLE MATCH GIRL」で、「Someone is just dead!」とあり、誰かが今死んだってことだけど、大久保訳の底本は「The Little Match-Seller」なんだけど、そこには「Someone is dying」とある。誰かが死にかかっているってことですよね。


個人的には、ここで少女が見た流れ星(これも「流れ星」だか何だか怪しくて重要な部分なんだけど)は、少女の死を暗示しているんだと思う。つまり少女が「死にかかっている」ってこと。そんで思うんだけれど、少女が一束だか全部だかのマッチを燃やしたというのは、現実のことなんだろうかと。一束の場合は、燃えカスが残っているんだから現実のことで間違いないのだろうけれど、全部であっても、一束の燃えカスしか残ってなくても、それが現実じゃなければ矛盾していないかもしれない。


図書館で調べればわかるのかなあ?面倒くさくなってきたので、これでおしまい。


検索したら比較している記事があった。
tomokilog - うただひかるまだがすかる: The Little Match Girl by Hans Christian Andersen アンデルセン「マッチ売りの少女」


あと、マッチ売りの少女の死因が黄燐の毒によるものだという説があるんだけど、どうなんだろう?毒性があるといっても、そこまで危険なものなんだろうか?化学にも詳しくないから何ともいえない。とはいえ、これは現実に起きた事件じゃなくて創作童話だから、「黄燐マッチ=危険」ということが創作のヒントになった可能性があってもおかしくなさそうにも思えたりする。わからんけど…