トンデモバイアス

非常に残念ながらryozo18氏とは意思の疎通ができなかったようだ。
ryozo18氏のコメント


小飼弾氏は確かに経済学に精通していないかもしれない。だが氏のエントリーのトンデモとまでは言えないところを、ことさらにトンデモであるかのように言い立てるのは不当な批判というものである。

GGP (Gross Global Product)が3割増しにしかなっていないのに、金融資産が倍以上になる。なぜそれが可能になったかといったら、金融経済が完全に「仮想化」されたからだ。「モノ」の裏付けがないからこそ、たった10年で倍以上(年率8.5%)という「成長」が可能になったのだ。

これの一体どこがおかしいというのだ?いや、多少はおかしいかもしれない。だが、ryozo18氏がおかしいと感じた部分は何なのか?

それは「フロー」と「ストック」を混同してはいけないというものだった。

上でおっしゃっていることは比較してはいけないものを比較しているだけ

ところが、「フロー」と「ストック」を比較することに「意味があるケースもある」。実際は「ケースもある」どころではない。このマッキンゼーの調査結果について多くのエコノミストが言及し、同趣旨のことを述べているのだ。それのどこが弾氏と違うというのだろうか?


もちろん細かいことを言えば問題はあるだろう。素人は学者と違い「用語」を厳密に使用しない傾向がある。読む人によっては「仮想化」とか「モノの裏付け」とか「成長」という語句に違和感を持つものなのかもしれない。しかし、それは「瑣末」な問題だ。それでもって比較してはいけないということにはならない。


「フロー」と「ストック」を比較することには意味があり、学者が比較した場合にはryozo18氏も意味があると認める。ところが弾氏が比較するのは駄目らしい。一体どこが違うというのだ。根本的には何も違わないとしか思えない。それを「意味がない」とするのは、一体どういう理由か?「弾氏は経済学に精通していない。だから、おかしなことを言っているはずだ」という先入観があり、そうした目で見ているから、無意識にマイナス要素を誇大視し、理解しようとする労力を怠っているからではないのか?


しかし、それにしても不審なのは、ryozo18氏は俺の19日の記事、『「経済学」は難しい - 国家鮟鱇』についても、『「比較しても意味がない」が正解です。』と答えていることだ。この記事の引用文は、弾氏の記事に引用してあったものだが、弾氏が書いたものではない。上に書いたように、弾氏の書き方には危うさがあるかもしれないと思ったから、そういう点を省いて、単純に金融資産と総生産を比較した部分に絞って質問した。この時点では別にryozo18氏についてどうこう言おうというつもりは全くなく、素朴に金融資産が膨らんでいることに問題があるのか、ないのかということが知りたかっただけなのだが、その質問にさえ「意味がない」と応答している。どうにも理解しがたいのだが、好意的に解釈しても、それは弾氏に対するように、俺に対してもトンデモバイアスが働いていて、何かトンデモナイ勘違いの質問をしたと思ったと理解するくらいしかできない。


どう考えたって、比較することには「意味がある」のであり、実際に多くのエコノミストが比較しているのであり、金融資産の膨張に問題がないというのなら、答えは「(比較することに意味はあるが)問題はない」である。そして「問題がある」という答えを出す人がいたとしても、それは「意見の相違」というものであり、仮に「問題がある」という主張を「トンデモ」と呼ぶにしても、あるいは実際に「トンデモ」であったとしても、それは比較した結果の評価において間違った思考をしたということであって、比較することまでをトンデモ視するのは納得のいくものではない。


俺もこれ以上ryozo18氏とやりとりしても得られるものは何もないと判断しましたので、一応ここで切りたいと思います。