古文書解読(その3)

高村不期さんの記事によれば、『北条氏康の子供たち』(宮帯出版社 2015年)所収の「浄光院殿― 足利義氏の室」(長塚孝)に

天文19年のこと、結城政勝は若君が六月に葛西か岩付へ移座する可能性を問い合わせている(「結城家譜草案」『埼玉県史料叢書』12)。

という記述があるという。

北条氏康の子供たち

北条氏康の子供たち

わたくしのさいしに、かさ井のさかひ、岩つきのさか井にあつて、小田ととりあい申候ハゝ、御うつりの証しのさわりにもなり申へきかと、おほせいたされたるハ、けにもさも御さあるへく候、

の長塚孝氏の解釈ということになるのだろう。俺は自分の解釈が絶対に正しいとは思わないけれども、しかし、一体どこをどう読めば長塚氏のような解釈になるのか全くわからない。すなわち「ここをこう読めばそういう解釈になるのだな」という解釈の過程が全く見えない。いくら何でもそんな解釈はありえないのではないか?


俺の解釈は高村不期さんの解釈と異なるけれども、その高村さんも

この長塚氏の解釈は、どうすればその解釈に辿り着けるのかがそもそも判らない。

と書いている。全く同感である。


これは「トンデモ解釈」と呼んでもよいのではなかろうか?いや正確にはトンデモだって「ここをこう読んだからそんな解釈になってしまったんだな」とわかるものが多いけれど…


ついでに、「わたくしのさいし」も、俺の「(公ではない)私の細事」の解釈が正しいかはともかく、これを「私の妻子」と解釈した『埼玉県史料叢書』もおよそありえない解釈をしていると思う。この解釈に同意してる高村不期さんの機嫌を損なうのではないかと憂慮するけれども…


もし、このような解釈をしたのがアマチュア研究者で、それが通説に反するものだったとしたら、「これだから素人は駄目なのだ」と、見下され、馬鹿にされたであろう代物ではないだろうか。しかしながら、そのような「トンデモ解釈」、すなわち「正解は必ずしも明白ではなく様々な可能性があるにしても、さすがにその解釈は無いだろう」といったようなものを、専門家でも頻繁にやらかしているのではないかと思う今日この頃。