世界を縦に切って「ウチ」と「ソト」に分けて、その間に本質的な対抗関係を見て、「ウチ」に味方するのが右翼である。
それに対して、世界を横に切って「上」と「下」に分けて、その間に本質的な対抗関係を見て、「下」に味方するのが左翼である。
まず、言いたいのは、ここでもやはり「保守」が抜けていること。松尾氏流に言えば
世界を「ウチ」と「ソト」に分けて、「ウチ」に帰属すると認識するが、「ソト」が「ウチ」に干渉しない限り「ソト」に無関心なのが保守である。
ということになるだろう。
そして、保守から見れば、右翼が「ウチ」と「ソト」、左翼が「上」と「下」などと図示されても、それは90度回転させれば同じじゃないかということになる。松尾氏定義の「右翼・左翼」は差異を解消しようとする思想であり、「保守」は差異を容認する思想であると。
差異を解消する方法はいろいろある。物理的に消滅させる(粛清・民族浄化等)、強者から弱者への価値観の押し付け、多数者による少数者の支配、普遍的な価値観の創出等々。それらのあるものを「右翼」といい、あるものを「左翼」と言っているのだ。
もちろん現代はグローバル化しており、「ソト」と接触する機会が、以前と比べて遥かに増えた。当然摩擦が起きる機会も格段に増えた。だから「保守」であっても、「ウチ」と「ソト」の差異を調整しなければならない場面は日常的なものである。自己及び自己が所属する共同体と直接関係ないように見えても、複雑な世の中では介入しなければならない場合も多々ある。
しかし、そこで根本的な差異の解消を目指さない(できるわけがない)というのが「保守」であり、根本的な解消ができる、少なくとも目指そうとする、そして深刻な摩擦がなくても差異が存在すると認識すれば解消しようとするのが、松尾氏が定義するような「右翼・左翼」であり、右翼と左翼の違いは、何を対立軸としているかの差だということになるだろうと思う。