鎌倉大仏の謎(その2)

引き続き俺のトンデモ説。


鎌倉大仏は、吾妻鏡によると、1238年に木造の大仏の造像が開始されたという。一方、京都の大仏は1236年に発願された。この時期に何か重要な事件があって、そのために造られたのではなかろうか。俺には思い当たることがあった。で、その線で調べてみると、まさにこの時代に重大な事件があったのである。

• 1232年、モンゴル帝国の侵略始まる。
• 1259年、モンゴル帝国(元)に屈し、属国化。皇帝の娘婿の国になる。

朝鮮の歴史(ウィキペディア)


朝鮮半島が大変なことになっていたのだ。なぜ、それが大仏と関係すると思うのかといえば、鎌倉大仏阿弥陀如来、すなわち八幡神、すなわち応神天皇であるという連想から。


それを説明する前に、ひとこと言っておきたいことがある。天皇に朝鮮系の血が入っているということについて。近頃、このことに積極的な意味を見出す人達というのは、戦前の皇国史観を否定する傾向の人が多いようだ。逆にこうした言説を好まないのは、いわゆる「右翼」。ところが、実際の歴史を見れば、この理屈は日本が朝鮮を支配するのを正当化するために使われていた。
日鮮同祖論(ウィキペディア)


そして、それは「神話」を歪曲して理解したためではなく、「神話」そのものに、そのような思想が含まれていたのだと俺は考えている。つまり、天皇新羅百済の王族の血が継承されているということを強調するのは、大和朝廷が朝鮮を支配し、従属させる正当な権利を持っているということを主張するためであったと思うのである。


それを前提にして考えた場合、モンゴルが朝鮮を侵略するということは、朝鮮における日本の権利を侵害するということを意味する(もちろん実際に支配していたわけではないが)。それに(呪術的に)対抗するための手段として、大仏が造られたのではなかろうか。阿弥陀如来八幡神応神天皇、すなわち新羅王子アメノヒボコの子孫である神功皇后の子であり、朝鮮を支配したという伝説を持つ天皇だ。


ちなみに大陸では金が滅んだのが1234年。南宋はモンゴルの脅威にさらされることになる。鎌倉大仏の原料が中国華南産の銭であるというのも、当時の国際情勢が密接に絡んでいるのではなかろうか。


なお、朝鮮に出兵した豊臣秀吉が大仏(阿弥陀如来)を造ったということも、このような文脈で考えことができるかもしれないと思うのである。


(おわり)


(追記)秀吉が方広寺の大仏を造営が開始したのは1586年5月。当初、前述の大仏がある東福寺の近くに造られる予定であった。なお、この時点での秀吉は「藤原秀吉」。この年9月に豊臣姓を賜る。