2006年12月に書いた記事。
⇒驚くべき新事実を発見した
Google マップ作ったので興味ある人は目で見て確認してください。
大きな地図で見る
※「大きな地図で見る」での閲覧推奨。地図を拡大して、「Google マップ」の左側の窓にある目印をクリックすれば簡単に詳細な位置や誤差がわかります。
関係ないかもしれないが、一応気になる地点は青の目印。誤差がありライン上にあると言うには苦しいものも含めた。参考程度だから無視して構わない。
赤い目印(神功陵・生駒山・観音寺・宇佐神宮)に関しては明らかに関係があると考えられ、しかも位置がぴったり一致している。念のために書くが「ぴったり」とか「丁度」というのはこういうのを言うのであって、そこらに溢れている「ぴったり」と言いながらキロ単位で誤差があるような代物とは違う。
でたらめなレイラインを本物だと主張する人達にはうんざりするが、これを一目しただけで可能性を否定する人達もバカだと俺は思う。
空海と観音寺と宇佐神宮と神功皇后と生駒山の関係については前の記事に簡単に書いてあるが、他にも気になる点はいくつかある。
空海の母の名を一説には「玉依姫」と言う。宇佐神宮の祭神「比売大神」も「玉依姫」と呼ばれる(ただし玉依姫と呼ばれる女性は複数いる)
参考 ⇒玉依姫考要旨
それと、
どの天皇の陵かで大混乱があった。843年(承和10)3月に盾列陵で二度にわたって山鳴りがし、雷鳴のようだった。そのような奇異があったので、朝廷が図録を調べたところ、二つの盾列陵があって、北が神功陵、南が成務陵だと分かったという。間違っていた原因は口伝によるものだという。『続日本後紀』。この事件によって、神功陵は「狭城盾列池上陵」、成務陵は「狭城盾列池後陵」として区別されるようになった(『延喜式』)。
これが八四三年の出来事。「図録」を調べたところ北側が神功皇后陵であることがわかったという。混同したのは「口伝」に依るものであったからだそうだ。
ところで、空海が入滅したのが八三五年。これはその八年後の出来事であった。空海はこの世にいないとしても、その弟子達が健在な時だ。想像ではあるが、空海一派とこの出来事との間に関係があるかもしれないという気がしてならない。
陵墓で奇異なことがあった(又はあったという噂があった)として、それが神功皇后の祟りであるというのは勿論非科学的なことだ。しかし古代の人は恐れただろう。とはいえ、その祟りの原因が陵墓の混同であったと結論付けるのには、そこにはまだ何かが必要であるようにも思える。証拠となった「図録」とはどのようなものであったのだろうか?あくまで仮説だが、祟りがある以前から空海一派によって、真の神功皇后陵は今の成務天皇陵であるという説が流布されていて、それが人々の間に、もしそれが事実であったなら祟りがあるかもしれないという不安を起こさせ、そして実際に「祟り」があったという事実(または噂)がそれを証明したという可能性だってあると思う。もちろんこれは空想の域を出ないのだが、しかし、このラインと空海と神功皇后の関わりを考えると、そんなことを思ってしまうのであった。
(3/12追記)参照リンク
⇒空海 八幡信仰 - Google 検索
⇒宇佐 空海 和気氏 - Google 検索
⇒生駒 高山八幡宮 宇佐 - Google 検索
⇒往馬坐伊古麻都比古神社 神功皇后 - Google 検索
⇒生駒山 空海 修験 - Google 検索
⇒観音寺 神恵院 宇佐 神功皇后 弘法大師 - Google 検索