日本経済の高度成長と発展に潜む原因(『アメリカを見くだすな』より)

アメリカを見くだすな―日米経済の盛衰は逆転する

アメリカを見くだすな―日米経済の盛衰は逆転する

1990年に発行されたこの本は前にも紹介したことがある。著者によると、「日本経済の高度成長と発展に潜む原因」は「持続的な高水準の資本支出」であった。その資金は当初は借金であったが、その後ほとんど国内貯蓄で賄われた。日本の高貯蓄率の原因の一つは人口構成によるもの。それに加えて「日本の税制」「各種の政府の政策」「文化的特性」。

戦後を通じて日本では、他の工業国よりも労働力人口の割に扶養すべき退職老齢者の数が相対的に少なかった。

彼らが貯蓄に熱心だった理由は、

両大戦の間や第二次世界大戦直後に日本に生まれた人々は、たぶんその祖先や、またその子供たち以上に、貯蓄するように感化された。戦争の結果、日本経済は荒廃し、国と個人の多くの財産が失われた。みずからの富を取り戻したいと望む家族にとっては、老後を支え、また子供たちに残すべき資産を蓄積するには、所得のかなりの部分を貯蓄する以外に選択の余地はほとんどなかったのである。

また国家的見地からも、貯蓄は戦後の国家再建のための資金の源泉として奨励された。神道や仏教といった宗教は、キリスト教ほど、とりわけジョン・カルヴィンの影響を受けたプロテスタント諸宗派ほど、節約を美徳として教えはしなかった。しかし、戦間期と戦後の日本の子供たちは、貧しい家庭から厳しい勤労と節約によって破産した家族の身代を立て直し、大地主になった二宮金次郎の物語を通してそれを学校で教わった。学校の生徒たちは、小原庄助という名の根っからの怠け者で、それゆえ不運に生涯を終えた遊び人の歌を歌いはしたが、小原ではなく二宮のようになることで果報は得られるものであることをたたき込まれたのだった

高貯蓄を支える文化的、経済的動機は、さまざまな形でからみ合っている。たとえば、戦後の極度に高い貯蓄率が個人財産の蓄積を促進したのか、あるいはそれが学校教育の成果なのか、またあるいは、それが戦時中アメリカで国債が買われたように、国家の再建を助けたいという国民的自尊心から出たものなのかを明言するのはむずかしい。明らかだと思われることは、過去四〇年間の高貯蓄とその結果として日本に強大な資本基盤をもたらしたのは上記諸要因の合成であって、日本人生来の性向だけではないということである。

ここにはもっぱら「高貯蓄」のことが書いてあり、日本人の「勤勉さ」についてはほとんど触れられていない。そして、このような状態はいつまでも続かないと予測する。その理由の一つは、「個人と家族の財産を回復すること」という戦争以来の高貯蓄率の背後にある重大な動機の一つは、現実のものとなり、新たな世代が登場するから。彼らは前の世代とは違う性向を持っている。

さらに多くの若者は、彼らの親たちが相続し得る財産を戦争で失ったのに反して、親からの遺産相続を期待できる。今日、中年層の日本人の大半が所有する最も価値の高い資産は住宅である。若者たちのほとんどが家を買えなくなったとはいえ、五〇歳から五四歳までの年齢層の半分以上は自分の家をもっている。親が子供のところに移り住む二世代家族はいまなおめずらしくないが、その四分の三以上が自宅を保有している。そして子供たちは親が死んだときその家の相続を期待できる。平均貯蓄額が年収に匹敵するようになったので、金融資産の遺産も同様に重要になっている。

このあたりは今でも読んでみる価値が十分あると思いますね。特に、昔からあったように見え、現在でも強固に存在すると思われる美徳が、実はそれほど直線的に繋がっているとは限らないものだったり、逆に、現在起きていることが直近の政治的な要因等よりも、もっと長期的な要因が関係していたりといったことについて。