⇒読売社説 民主「西松」報告 検察・報道批判は的はずれだ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞) - finalventの日記
読売云々は関心ないけれど、気になるのは福音書。
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。このようにして、あなたがたは預言者を殺した者の子孫であることを、自分で証明している。
イエスは何を説いているのだろう?
「自分が義であることを申し立てることで人は自身まさに不義であることを語る」ということだろうか?公式にはどう解釈されているのだろうか?検索してみたが探し方が悪いのかあまり見つからない。
彼らは、預言者や義人の墓を建てたりして敬虔そうに見えますが、その心は先祖と同じように反逆に満ちていました。その証拠に、彼らは今、神様が遣わされたメシヤを拒否し、殺そうとしています。そうさせたのは、まさに彼らの偽善の罪でした。
⇒礼拝メッセージ・説教:マタイの福音書->01-30 偽善者たちを咎められたイエス様
イエス様は、そのような者たちに何とおっしゃっているか。「『自分があの時代に生きていたら、預言者を殺す者たちの仲間にはならなかった』と言う者、そう思う者こそが、預言者を殺す心を持った者なのだ」というのです。「自分は正しい。自分なら、あんな馬鹿なことはしない」という心、自分を正しい者とする心、それこそが神様に反逆する者の心だとイエス様はおっしゃっている。
⇒時代を救うために マタイの福音書23章29節から39節 (2008年8月17日)
http://キリストの平和.jp/view_message.cgi?message_id=00106
しかしそれが、預言者の墓を建てるとなるとどうか。そこで起ることは、預言者をもう過去の人、過ぎ去った人として葬り去り、自分の現在の生活と直接関係のない存在にしてしまうことです。そしてそれは、預言者の語った神様のみ言葉に対してそうすることを意味します。神様のみ言葉を、過ぎ去った昔の、歴史上の事柄にしてしまい、それを大切にするようなふりをしながら、実は今の自分の生活とは切り離してしまう、そのみ言葉によって現在の自分が変えられたり、道を正されたりすることが起らないようにしてしまうのです。主イエスがここで見つめておられるのはそういうことでしょう。
⇒富山鹿島町教会・礼拝説教[2003-03-09]