慶長17年(1612年)に徳川家康が外桜田に門庵宗関を招いて創建。寛永18年(1641年)寛永の大火で焼失したが、将軍家光の命で、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷・今川の6大名により、現在の高輪の地で再建された。
浅野内匠頭と赤穂浪士が葬られていることで有名であり、現在も多くの参拝客が訪れる。また、毎年12月13日、12月14日には義士祭が催される。
この寺が今川義元の菩提を弔うため開創されたということを知る人は少ない。
ついでに、吉良上野介(義央)が今川義元の子孫であることを知る人も少ない。系図にすると、
今川義元-氏真-女子(吉良義定室)-吉良義弥-義冬-義央
となる。また、
今川義元-氏真-範以-女子(吉良義弥室)-義冬-義央
ともなり、二重に義元-氏真の血を引いている。
さらに、泉岳寺開基の門庵宗関は、今川義元の孫(あるいは縁者)であることを知る人は少ない。
さらに、さらに、門庵宗関が世田谷豪徳寺の中興開山であることを知る人は僅かであろう。
文明12年(1480年)吉良政忠が伯母で頼高の娘である弘徳院のために「弘徳院」と称する庵を結んだ。当初は臨済宗に属していたが天正12年(1584年)曹洞宗に転じる。
⇒豪徳寺 - Wikipedia
この「曹洞宗に転じる」というのが門庵宗関の業績。
「ひこにゃん」で有名な招き猫伝説
招き猫発祥の地とする説がある。井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、後に井伊家御菩提所としたという。
この「和尚」って誰よ?ってのが凄く気になるところ。
ちなみに世田谷の吉良氏は頼康が堀越氏朝を養子にしたので、血統的には実は今川了俊の子孫の遠江今川氏(氏朝の妻は北条氏)。
⇒吉良氏朝 とは - コトバンク
その他、今川義元の親類縁者に関しては、興味深い話がいっぱいあるんだけれど、非常にマイナーで、あまり関心持たれていないみたいなのが残念。
(断片的な情報はあるけれど、まとめたものはおそらくネット上にはないだろう。ネット以外では知らない。あったら是非知りたい)