稲生物怪録(その1)

稲生物怪録とは、

稲生物怪録(いのうもののけろく、いのうぶっかいろく)とは、江戸時代中期の寛延二年(西暦1749 年)に、備後三次藩(現在の広島県三次市藩士の稲生武太夫(幼名・平太郎)が体験したという妖怪にまつわる怪異をとりまとめた物語。

筆者は柏生甫であり、当時16歳であった実在の三次藩士、稲生平太郎寛延二年の七月の一ヶ月もの間、体験したという怪異をそのまま筆記したと伝えられている。あらすじは、肝試しにより妖怪の怒りをかった平太郎の屋敷にさまざまな化け物が30日間連続出没するが、平太郎はこれをことごとく退け、最後には魔王のひとり山本五郎左衛門から勇気を称えられ木槌を与えられるというものである。平太郎の子孫は現在も広島市に在住、前述の木槌も国前寺に実在し、『稲生物怪録』の原本も当家に伝えられているとされる。現在は、三次市教育委員会が預かり歴史民俗資料館にて管理している。

稲生物怪録 - Wikipedia


民俗学者等に人気の高い物語だけれど、俺はいままでさほど興味がなかった。というのも、俺が興味あるのは、日本各地さらに世界に類話が存在する神話・伝説であり、一方、「稲生物怪録」はオリジナルな物語だと聞いていたから。ネットで紹介されている物語の粗筋を読んでみても「山ン本五郎左衛門」の「五郎」が「御霊」に通じるんじゃないかと思う位のもので、あまり興味を惹くものがなかった。もちろんこんなことが現実にあるわけがないから、つまりこれは作り話か、あるいは幻覚の類だろうと思った。


だが、あることがきっかけで、久しぶりに「稲生物怪録」についてネットで検索していたら、
稲生家の怪異譚の原典
というページが見つかり、そこには、

稲生家の怪異譚は原典の存在しない、オリジナルの物語だといわれている。しかし、藤巻一保氏によれば『今昔物語集』に稲生家の怪異譚の原話と思われる話が収録されているという。巻二十七「三善清行の宰相、家渡りする語 第三十一」がそれである。
 最後に翁が出てくるところなどは、確かに山ン本五郎左衛門を思わせるところがあり、何らかの影響関係が考えられる。

と書いてある。確かに似ている。そういうことならば、興味が湧いてくる。


そして、改めて考えてみると、思い当たることがあるのであった。


(つづく)