ナチスの定義する「nation」

上の疑問を解消すべく少し調べてみた。

4 民族同胞のみが国民たりうる。宗派にかかわらずドイツの血を引く者のみが民族同胞たりうる。ゆえにユダヤ人は民族同胞たりえない。
5 国民でない者は、ドイツにおいて来客としてのみ生活することができ、外国人法の適用を受けねばならない。

25カ条綱領 - Wikipedia


ナチスにおいては「ドイツの血を引く者のみ」が国民であって、それ以外は「来客」扱い。


この25カ条綱領が採択されたのが1920年2月24日で、1919年1月に設立された「ドイツ労働者党」が「国家社会主義ドイツ労働者党」に改称したのも1920年2月末。


この経緯から見てナチスの「nation」にはドイツ民族以外の人間は含まれていないと言えるのではないか。


ただし、普通「国民」と言えば国籍を持つ者」のことだから、ナチスユダヤ人を国民とみなしていなくても、ユダヤ人はドイツ国民であったとはいえるだろう。


ヒトラーの反ユダヤ政策 (年表)
によれば、1933年1月30日にヒトラー政権誕生。この年7月14日に、

ワイマール共和国成立以後にドイツ国籍を得たユダヤ人の市民権、国籍は無効とされた。これは主に外来者、東方ユダヤ人に向けられた処置であった。これにより、東方ユダヤ人の多くは早期にドイツを去っていった。

とある。ここで一部のユダヤ人が国籍を剥奪されているけれど、あくまで一部だ。最終的にどうなったのか、この年表ではわからないけれど、おそらくナチス崩壊まで法的にはドイツ国民だったのではないか(国籍剥奪しようと思わなかったのか、思ったけど諸事情によりできなかったのか、おそらく後者ではないだろうか)。


そして、1935年にニュルンベルク法が成立している。
ニュルンベルク法 - Wikipedia

「帝国市民法」は、「国籍所有者(Staatsangeh〓rige)」と「帝国市民(Reichsb〓rger)」を明確に区別し、「帝国市民」は「ドイツ人あるいはこれと同種の血を持つ国籍所有者だけが成れる」と定め、「帝国市民」だけが選挙権や公務就任権など政治的権利を持つと定めた[4][2]。さらに「帝国市民」はドイツ民族とドイツ国家に忠誠を誓う意志を持たねばならず、それはそれにふさわしい態度をとることでのみ証明されるとした[3]。

「帝国市民」の資格を持たない単なるドイツ国籍所有者(ユダヤ系ドイツ人など)は政治的権利は一切ないとされた[4]。すなわちユダヤ人は二等市民に落とされたのである[1][3]。

ユダヤ人は「国籍所有者」ではあるけれど「帝国市民」ではない存在と規定されたということになる。ここでナチスの「nation」は「帝国市民」を意味することになったということなのだろうと思う。


また、ポーランド国籍のドイツ在住ユダヤ人は、
水晶の夜 - Wikipedia

1933年1月30日、反ユダヤ主義を掲げるナチス党の党首アドルフ・ヒトラードイツ国大統領パウル・フォン・ヒンデンブルクからドイツ国首相に任命された。この後、ドイツではユダヤ系ドイツ人が激しい迫害にさらされることとなった。しかしドイツ在住のユダヤポーランド人は比較的迫害から免れていた。たとえ夜中の三時にゲシュタポがやってきても彼らはポーランドの旅券を見せることで在住外国人としての権利主張ができた。いかにナチス政府といえどポーランドと国交を結ぶ限りは彼らに正当な権利を認めねばならなかった。しかしドイツとの関係悪化を恐れるポーランド政府は1938年10月、ついにドイツ国内のユダヤポーランド人の旅券を無効にすると発表した[2]。これによりポーランド旅券を持っていたユダヤ人たちはポーランド人ではなく、無国籍者となり、いよいよナチス政府の所管に落ちた。

と1938年に「無国籍者」扱いされることになったそうだ。