厩戸皇子と馬屋古女王と馬子

厩戸(うまやど・うまやと)という名前と馬屋古(うまやこ)という名前には何らかの関係があるのは間違いない。俺の素人考えでは「戸」は「こ」とも読めるので、厩戸は「うまやこ」とも読むことが可能だろうと思う。というのが前回の要点。

厩戸皇子と馬屋古女王


で、「厩戸」が「うまやこ」だとすると、当然のことながら、蘇我馬子の「うまこ」との関係も考えなければならない。というか、厩戸を「うまやど」と読むとしても「馬子」という名前との関係は気になるところ。


これは多くの人が疑問に思っているのではないかと思うのだが、これについても、学者がどう考えているのか俺は知らない(どこかに考察したものがあるのかもしれないけれど)。しかも、多くの人が疑問に思っていることであるだろうと思うのに、ネットで検索しても、それについて言及したものがなかなか見つからない(探し方が悪いのかもしれないが)。


馬子については「午年生まれだから」という説があるそうだ。

生年は不詳であるが、名前の「馬子」は午年生まれであることに因む可能性もあり、『公卿補任』に「在官五十五年」とあることから、550年の庚午年前後であろうと推定する人もいる。

蘇我馬子 - Wikipedia
しかし、午年生まれの人間は単純に考えて12人に1人いるわけで、彼らが全員「馬」という名前を持っているどころか「厩戸皇子」くらいしか他に「馬」の名が付く人物を思いつかない(調べてないからいるかもしれないけれど少なくとも少数であろう)。その馬という名を持つ人物が厩戸皇子と並んで天皇を補佐していたというのは、かなりの偶然か、あるいはその外にも理由があるということだろう。


具体的にどういう説なのか知らないけれど「聖徳太子蘇我馬子」説というのがあるそうで、学者は見向きもしないだろうし、俺も突飛過ぎると思うけれど、そういう説が出てくるのは自然なことだとも思う。こういう説にありがちな「抹殺された歴史」とか「捏造された歴史」みたいな陰謀論を廃して、その上であえて「厩戸=馬子」説を肯定する立場で考察してみれば、同一人物説は成り立たないにしても、新たな可能性が見えてくるかもしれないとさえ思う。



ところで俺がさらに気になるのは「馬子」の「子」という字だ。上に書いたように「厩戸」が「うまやこ」と読めるということで「厩戸(うまやこ)」と「馬子」に関係があるとするのなら、「馬子」の「子」は「戸」に対応することになるのかもしれない。


「○子」といえば現代では女性名ということになっているけれど、古くは男性名にも用いられたということは良く知られることだ。有名なのが「小野妹子」で、妹子を女性だと勘違いしていたりとか、男だと知っているのにネタとして女性扱いされていたりする。


だが、「子」というのは一体何を意味するのかということまでは考えたことがなかった。「子」は漢音・呉音では「シ」、唐音で「ス」、訓読みでは「こ、ね」。一方「戸」は呉音で「グ、ゴ」、漢音で「コ」、訓読みで「と、へ、え」。すなわち、子を「こ」と読むのは訓読みで、戸を「コ」と読むのは漢音。というわけで「こ」という和語に「子・戸」という文字を充てたというわけではなく「子(こ)」のみが和語だ。しかし全く無関係かといえばそうでもないような気がしてしまう。「戸」は世帯を意味するけれど、「家の子」といった場合の「子」は一族を意味するし。でも、このあたり言語学に疎いので気がするとしかいえないのだが…