厩戸皇子と馬屋古女王と馬子(その2)

厩戸皇子と馬屋古女王と馬子
について、Zarathustra1951-1967さんがブックマークのコメントで、「固有名詞で音読みと訓読みを混用するのは無理があるのでは」という指摘をしている。


それは確かにその通りだと思う。思うけれど、それを考えると、そもそも「厩戸(うまやど・うまやと)」と「馬屋古(うまやこ)」の関係はどうなっているのかという最初の課題に戻ることになる。


既に書いたように、このことについて学者がどう考えているのかさっぱりわからない。「馬屋古」という名前があるから「厩戸」も地名から付けられたのだろうだけでは説明不足もいいところだ。「うまやど」という地名があったのなら、なぜ「うまやこ」なのか?逆に「うまやこ」という地名があったのなら、なぜ「うまやど」なのか?「うまやど」という地名と「うまやこ」という地名があったということなのか?そういう突っ込んだ考察はどこかでなされているのだろうか?


俺は勝手に「厩戸」の「戸」は「コ」とも読むので、「馬屋古」の「古(こ)」に通じるのだろうと推測したのだけれど、この時点で「戸」を「コ」と読むのは音読みなので、固有名詞で音読みと訓読みを混用しているのである。


俺の推測は間違っているかもしれないけれど、それでは「うまやど」と「うまやこ」にはどういう関係があると考えられるのか?そこが大いなる謎になる。再三繰り返すが学者は一体どう考えているのか?わからないならわからないで「厩戸は地名から来たと考えられるが馬屋古との関係は不明である」みたいな説明をするべきであって、「馬屋古女王という名前もあることから、厩戸は地名だと考えられる」みたいな説明では不親切極まりないと思うのである。



あと「それよりウマイヤ朝の名祖ウマイヤは、厩戸よりだいたい2世代、馬子より1世代上なので、何か壮大なストーリー考えてください」というコメントも貰ったけれど、俺は「ウマイヤ朝」については無知なんで、なんのことやらわからないのであった。


しかし、ウィキペディアを見てみると、

また、ディーワーン制や駅伝制の整備、行政用語の統一やアラブ貨幣鋳造など、イスラム国家の基盤を築いた。

ウマイヤ朝
とあって「駅伝制」については気になるところ。馬は世界的に「ma」の発音で共通するそうで、ウマイヤ(ムアーウィヤ)という名前が馬に関係するのなら、直接的な繋がりがなくとも、間接的に関係する可能性があったりするかもしれないとも思うけれど、そこのところは調べてもわからないし、多分違うんじゃないかと思う。